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一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 > スペシャルインタビュー >関 幸子氏 Vol.1

地方創生のブランディング -地方創生にブランディングは有効か – 前編

関 幸子氏 Vol.1 株式会社ローカルファースト研究所 代表取締役

聞き手:一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 代表理事 岩本俊幸

【関 幸子氏のプロフィール】

三鷹市役所、財団法人まちみらい千代田にて、30年間地方自治に携わる。その間、基本計画、女性行動計画、産業振興計画、次世代育成計画策定、ビジネス支援図書館の推進に携わる。加えて、三鷹市では中心市街地活性化法のTMOとなる株式会社まちづくり三鷹市SOHO CITY みたか構想を推進し、日本で最初の公設公営のインキュベーション「三鷹産業プラザ」など4つの施設を整備。また秋葉原タウンマネージメント株式会社を設立し、都心のエリアマネージメントを実践。2009年10月から10年9月まで、内閣府企業再生支援機構担当室 政策企画調査官として、地域再生にも携わる。
地域産業政策、地域の資源を使って新しい産業を創出する専門家。



岩本

本日は、地方創生のエキスパートである「ローカルファースト研究所」の関 幸子さんに、地方創生にブランディングが有効な理由を伺いたいと思います。まずは、関さんのご経歴を教えてください。


大学を卒業して、1980年に三鷹市役所に一般行政職で入庁しました。三鷹市役所での最初の9年半は、図書館で本の貸し出しと、児童図書を担当していました。一般行政職で入りましたので、異動は必ずあります。1回目の異動が1989年7月で、企画調整室に移りました。自治体は計画行政なので、その基本構想や基本計画を作る部署です。


参加した研究会で起こった、ある衝撃的なできごと

岩本

図書館と、異動した部署との間にギャップはありましたか?


ギャップはとてもありました。行政の経験がなかったので、異動して2か月後の89年9月から、東京都が主催する「地域産業政策研究会」の研修に参加しました。これは地域経済や地域の産業を振興させる方法についての研究会でした。そのときの副座長が、元一橋大学教授の関 満博先生。元東京都の職員で、商工指導所の専門員だった方です。私と苗字が同じだけで、親族などではありません(笑)。その関 満博先生が最初に言った言葉は、「これからの自治体は稼がなければいけない」でした。1989年と言えばバブル真っ最中で、税収が激増していた時代です。そのときに、「税金が下がる時代が来るから、先を読んで、それに備えるための産業政策を作りなさい」とおっしゃったんです。これは、すごく衝撃的な出来事でした。その話を企画調整室の係長にしたところ、係長が興味を示しました。すぐに関先生を呼んで三鷹市だけの勉強会を開くことになり、その年に「三鷹市産業政策研究会」を立ち上げました。


岩本

企画調整室では、どのような仕事をされたのでしょうか。


企画調整室にいた5年間で、「第二次三鷹市基本計画」を書きました。その計画を書き終えたところで、東京都の勉強会も含めて実績が評価され、1996年に経済課へと異動になります。経済課は、三鷹市の産業政策の担当部門です。この部署で、「三鷹市産業振興計画」を作りました。1992年にバブルが崩壊し、関先生の予測通りに景気が低迷して失業率が上がり、税金が下がっていました。ですから、地域経済を活性化するための計画が必要でした。この産業振興計画には、約30の個別事業がありました。ほとんどのことは私がやり終えていたのですが、予算とタイミングがなくて、2つだけやりきれなかったことがあります。1つはまちづくり会社を作ること、もう1つは産業振興センターを作ることです。ところが1998年に「中心市街地活性化法」ができて状況が変わります。この法律の中に、「まちづくり会社を作っていい」と書いてあったのです。


やろうとしていたことが「できるとき」が来た

岩本

やりたかったことが、できるようになったのですね。


そうなんです。1999年10月、三鷹市は全国で7番目にまちづくり会社を立ち上げました。その会社の社員一号として、私が転籍します。公務員には「退職派遣法」の法律があるので辞令が出て民間に行って、その期間は公務員ではなくなります。また辞令が出ると、すぐに公務員になれるのです。籍は残しますが出向ではありません。
このまちづくり会社は、製造業とSOHOの支援を行うことを目的としました。すでにインターネットが広がり始め、インターネットとパソコンがあれば企業化し、小さい仕事を創れるSOHOができる社会になっていました。私たちが製造業の次に期待したのはIT企業です。そのため私たちは、「三鷹産業プラザ」というインキュベーション施設を作り、製造業のために高い検査装置を用意し、ベンチャー企業のために小さいけど安いオフィスを用意することを仕掛けました。公務員だから見えたことです。「自治体の周辺の課題」を解決するためにはまちづくり会社が有効であり、さらに実行させてもらったのでノウハウもたまりました。私は8年その会社に在籍しましたが、2006年に再び図書館に戻りました。


seki1

秋葉原のタウンマネージメント会社の専務に就任。しかし、そこで…

岩本

図書館には、何年ほどいらっしゃったのですか。


残念ながら、図書館には1年しかいられませんでした。なぜかというと、2006年の秋口に千代田区の区長から、「今度立ち上げる、秋葉原のタウンマネージメント株式会社を任せたい」とオファーがあったためです。正直迷いましたが、家族の後押しもあり、三鷹市を退職して2007年12月に秋葉原のタウンマネージメント株式会社の専務取締役に就任しました。そして、これから世界の秋葉原へ観光地として一気に舵を切ろう、とした2008年に秋葉原で大きな殺傷事件(秋葉原通り魔事件)が起きたのです。


岩本

あれは、衝撃的な事件でしたね。


事件の影響で、ホコ天が中止になってしまいました。2008年は、もっぱら防犯カメラをつけたり、自治会長と一緒に防犯パトロールをしたりしていました。ですから、本来やろうと思っていたことが全然できなくて、「せっかく三鷹市を辞めて、秋葉原に来たのに」と思っていたところ、内閣府の知り合いから、「1年間、研修に来たらどうか」という誘いがあって1年間内閣府に行きました。内閣府では非常勤だったので、2009年に「ローカルファースト研究所」を立ち上げました。


岩本

現在のローカルファースト研究所の設立は、2009年だったんですね。


はい。しかし、本格的な活動は2010年からになります。社名にした「ローカルファースト」という言葉は、オバマ大統領の就任演説にも出てくる言葉です。環境問題や地域活性化に関して、アメリカでは「ローカルファースト・グローバルセカンド」と言って、足元を大事にして、自分たちの資源でしっかりと経済を立て直す考え方があります。今では「地方創生」と謳われていますが、それと考え方は一緒です。ちなみに、弊社の英語名は「ローカルファーストインスティチュート」ではなくて、「ローカルファーストラボラトリー」で、研究所ではなく工房なのです。


岩本

「現場寄り」ということですね。


はい。だからシンクタンクではなく、ドゥタンクという考え方を持っています。ローカルファースト研究所は、主に産業政策を中心に、各自治体様にアドバイスをさせていただいています。2011年に東日本大震災が起きたときには、自治体が復興に向けたシナリオを描く必要があったので、私たちもお手伝いをさせていただきました。私たちは経済政策的な復興計画をたくさん書いたのですが、圧倒的に土木中心の復興になってしまいました。2011年から2014年まで東北での事業を中心に取り組み、帰ってきたタイミングで地方創生が始まったのです。ですから、ローカルファースト研究所の原点に戻って活動することができるようになりました。弊社の目標は、地域資源をしっかりと見定めたうえで、稼げる地域を作ることです。地域資源によって戦略や手法を変えて、それを丁寧にコンサルティングさせていただき、必要があれば私たちも計画を書くだけではなく、身銭を切ってでも一緒に活動していく心づもりです。


分析能力と郷土愛を融合させるブランディング

岩本

地域が稼げるようになるには、どのようなことが大事なのでしょうか?


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私は、ブランディングが重要であると考えています。ブランディングとは言ってもデザイン面よりも、分析能力が重要です。その地域が何を持っていて、何を持っていないのかを分析すること。それに加えて、どういう「まち」にしたいのかという想いの部分ですね。分析は一歩引いた心で冷静に行い、そこに「どうしたいか」という温かい心や郷土愛などを加えていきます。その両方をうまく融合させる手法が、ブランディングであると考えます。その1つに市場調査があり、そこにデザイン性を加えることによって、物語は作られます。その地域の物語であり、心が動くサービスや商品、ヒトを作ることがブランディングです。今の自治体や地域に足りないことは、冷静な目を持つところですね。熱い気持ちはいっぱい持っているのですが、それだけでは成果が上がりません。「良いのだけれど、他より弱い」「良いのだけれど、その色がクリアに見えない」などと情報発信が少ないために知られない、選ばれないという残念な結果になってしまっています。「ブランディング」というと、どうしても広告やポスターやパッケージのほうに関心が向きがちですが、それらは最後の見え方の部分で大事なことはプロセスであると思っています。それ以前の分析プロセスがしっかりしてないと、ブランディングにはなりません。土台から積み上げる一貫したプロセスが物語を生み、応援団を作り、人を育てるんです。


後篇へ続く