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一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 > スペシャルインタビュー > 石渡 美奈氏

「ホッピーは単なる飲み物のブランドではない」
真似されない“人柄の良い”企業文化を確立

ホッピービバレッジ株式会社石渡 美奈

Profileプロフィール

ホッピービバレッジ株式会社 代表取締役社長

1968年生まれ、東京都出身。立教大学文学部を卒業後、日清製粉(現:日清製粉グループ本社)に入社。
人事部に所属し、93年に退社。広告代理店でのアルバイトを経て、1997年、祖父が創業したホッピービバレッジに入社。
広報宣伝を経て、2003年取締役副社長に就任。2010年に代表取締役社長に就任。
著書は「社長が変われば会社は変わる!」(CCCメディアハウス)、「社長が変われば社員は変わる!」(あさ出版)、「ホッピーの教科書」(日経BP社)、「技術は真似できても、育てた社員は真似できない」(総合法令出版)など。
早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了、経営学修士(MBA)。2016年、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM修士課程)修了。ラジオ番組「看板娘ホッピーミーナのHoppy Happy Bar」(ニッポン放送)でパーソナリティを務め、「ホッピーミーナ」の愛称で親しまれている。

麦芽とホップで作られたビアテイストの発酵飲料「ホッピー」。
現在はその唯一無二の魅力から、老若男女に愛される居酒屋でおなじみのメニューとなっています。
このホッピーを製造・販売するホッピービバレッジでは、はたしてどのような理念、体制のもと、ホッピーの魅力を発信してきたのか。8年で売り上げを5倍にするなど、同社の3代目として奮闘している“ホッピーミーナ”ことホッピービバレッジ代表取締役社長の石渡美奈氏にお話を伺いました。

Hoppy

ホッピーには無限の可能性がある

Q. 本日は「ホッピー」ブランドの強みや戦略について、いろいろとお伺いしたいと思います。まずは理解を深めるため、石渡社長のご経歴から教えてください。
1997年にホッピービバレッジに入社されるまで、どのようなことをされていたのでしょうか。
大学卒業後、日清製粉(現:日清製粉グループ本社)に入社し、人事部で3年間お世話になりましたその後結婚退職して、それが人生の大きな起点となっています。
というのも、家にいて1カ月で、社会に自分の居場所がないことが寂しい、と思ったためです。それで結婚式を2カ月後に控えた8月に、大学の同級生の紹介で広告代理店に準社員のような形で入社し、フルタイムの仕事を始めました。 実はその後、結婚を解消することになるのですが、そのときに初めて、「自分の使命は何だろう?」と人生を真剣に考えるようになりました。
そんな中、代理店の上司から「クライアントを持ってみるか」と打診されました。それまで事務職だったので、初めての営業。そこで初めて「仕事が面白い、自分は一生仕事をしていたい」ということに気付きました。
ちょうどそのころ、規制緩和に伴う酒税法改正により父が地ビールの醸造免許を取得しました。 そのときに思ったのは「うちはビールを作る会社になるんだ、面白そうだな」ということ。
家業に、本気で興味を持った瞬間でした。

一生仕事をしていたいと思いながら、同時に家業にも興味を持った……そこで化学反応があり、「それならば私が会社を継げばいい」と考えたんです。ただ、ひとり娘が「継がせてほしい」と言うのだから喜んでくれると思ったら、父は「お前には無理だ」と。でもそのころは父の仕事に興味があったので、1分でも早く帰宅して夕食を共にしながら父から話を聞きたかった。とはいえ代理店勤務で不規則な生活ではそうもいかないため、叔父に紹介された東京ガスで、定時で上がれるアルバイトをすることになりました。
そこで約10カ月勤めた後、ようやく父から入社を許され、1997年4月にホッピービバレッジに入社することになりました。
Q. ホッピービバレッジの歴史について、業績の推移も含めてお伺いしたいと思います。
まずは、創業からの沿革を教えてください。
創業者は祖父の石渡秀で、創業は1905年。
おそらく祖父が10歳のときだと思います。1905年に、東京都の赤坂で、祖父が私の曽祖父にあたる石渡五郎吉の名前を取った「石渡五郎吉商店」という餅菓子屋を始めました。 赤坂9丁目は当時、歩兵第一連隊の駐屯地で、祖父はその御用聞き商人でした。そこに商品を納めていたある日、海軍を通じて日本にラムネが入ってくるという情報を聞きました。
ラムネの主原料は砂糖で、餅菓子屋を営んでいた祖父は当時貴重品だった砂糖を優先的に取り扱うことができる。そんな背景もあり、「ラムネを作ってみたらどうか」と言われたそうです。
そこで、当時15歳程の祖父は「秀水舎」という会社を立ち上げ、ラムネの製造販売に取り組みました。これが清涼飲料の世界にご縁をいただきましたきっかけです。
ただ、ラムネは冬場の売り上げがはかばかしくない。どうしたものかと人に相談をしたところ、雪国なら屋内は暖かいし、ウィンタースポーツもある。冷たい炭酸飲料も必要とされるだろう、と言われて、長野県の佐久市に会社を設立し、工場を建て、製造販売しました。
そしてそのころ、ノンアルコールビールが流行った時代があったそうですが、当時作られていたのは現在のような醸造発酵技術を用いたものではなく、泡立て剤と、ホップの代わりに苦味をつけるエッセンスを混ぜたいわゆる「まがいもの」でした。
しかし当時はたいそう売れたそうで、祖父も話を持ち掛けられたのですが、「まがいものを作っても仕方がない、お客様に自信を持ってお売りできる、お客様が安心して召し上がれる商品作りでなければ意味がない」と儲かるとわかっていながらお話を蹴ったんです。
一方長野県は当時ホップの名産地でしたので、ホップを分けてくださる農家様とご縁をいただき、0から「本物のノンアルコールビールを作ってみよう」と取り組むことになりました。
それがホッピー開発のきっかけで、終戦直後の1948年に焼け野原でホッピーが誕生しました。

ここで疑問に思うのが、なぜラムネ工場を長野県に決めたのか?ということです。
長野県には親戚もいないし、ほかの場所でも良かったはず。もしかしたら、ホップの名産地だということをあらかじめわかっていて、何か糸口がつかめないかと考えたのではないでしょうか。
というのも、祖父はもともと「酒造りは男の浪漫だ」と話しており、ビールを作りたかったそうなんです。でも、規制により実現できなかったため、ホッピーになった。
だから、父が地ビールの免許を取ったときに「親父さんの夢を叶えたんだよ」と嬉しそうに話しており、私もそんな話に心が揺さぶられて会社を継いだのだと思います。
そして私が1997年に入社した後の業績の推移についてですが、2001年度の売り上げは8億円でした。業績が上がり始め、2009年度には約40億円になっています。8年で5倍に成長したわけですね。
Q. では、そこまでに成長した「ホッピー」ブランドについてお話をお伺いします。
「ホッピー」ブランドの強みとはどこにあるのでしょうか?
ホッピーは、単なる飲み物のブランドではないと思っています。そこに命が宿っていると言ってもいい。
ホッピーファンの方々には、我が子を愛でるように“自分たちのホッピー”を育てている感覚を持っていただいているのではないでしょうか。
そこに、独特のホッピーワールドがあり、「ひとつの文化になっているね」と仰っていただくこともあります。
だからといって、そうした「文化」になっている強みを意図的に利用することはありません。それをしてしまったらお客様の純粋なホッピー愛を冒涜することになると思っています。
ただし、メーカーとしての方向性は必要です。メーカーとして市場は見ながら、ブランドを手掛けていくことが肝要だと考えています。
日本のビール産業の世界は独特です。ただ、これは入社当時に大手スーパーのバイヤー様に言われたことですが、
「お客様にとっては大企業の商品も中小企業の商品も関係ない、並んだら同じ」と。とはいえ大企業と同じことはできません。
ではどうやってお客様に発信をしていくかというと、やはり独自路線が大事です。独自路線でいかない限り、生き残っていけないと思っています。
Q. ホッピーは昔からありますが、以前の「おじさんくさい」というイメージから、ここ最近は少し変化しているように感じます。 イメージを変えるために、やはりいろいろ苦労されたのでしょうか。
苦労は何ひとつしていません(笑)。
また、「おじさんくさい」というイメージを変えようとか、そうしたイメージを批判したこともありません。
では何を変えようとしたかというと、ホッピーに対する良くないイメージです。ホッピーは祖父の代から本物にこだわり、父が世界一流の技術者を入れ、一流の原材料を仕入れるルートを確立して作っているのに、「お店の残ったビールを薄めて作っている」など、まがいもののように扱われていたんです。
こうした明らかに間違っているイメージは、正しくお伝えしていかなければいけません。そこが私のスタートにもなっています。
また、「おじさんくさい」というのは悪いことではありませんが、それがまるで将来がないことのように言われてしまうのは違うのではと思います。「若い人に受けなければ、未来がない」ということをよく言われますが、私は「若者にホッピーがわかるはずがない」と思っているんです(笑)。
ホッピーは手間暇がかかりますよね。1日を一生懸命働いてくたくたになって帰宅した企業戦士が、自分を癒すためにひと手間をかけて作る…だから美味しいのであって、この世界観はまだまだ若い子にはわからないだろうなと感じます。
だから若い人におもねるつもりはありません。もちろん、若い人の中にもホッピーの世界観がわかり、興味を持ってくれるお客様も沢山いらっしゃいますので、大事にしています。
つまり、老若男女、人種、肌の色に関係なく、ホッピーの世界観に興味を持ってくださって、共にホッピーの文化を育てていこう、という方であれば大ウェルカムなんです。
Q. ブランドは認知を拡大する試みも必要だと思います。認知を拡大するためにこだわっていることは何でしょうか。
自分の言葉で伝える」ことですね。
たとえば、私は自分でラジオのパーソナリティも務めており、ニッポン放送の「看板娘ホッピーミーナのHoppy Happy Bar」は今年、放送4000回を超えました。
また、広告を打つときも、新聞を作るような感覚で文字はすべて私がチェックしていますし、自分で原稿を認めることも多くあります。
あとは、ホッピーの無限の可能性を伝えていくことですね。単なる焼酎割り飲料ではないということを時代の流れに合わせて伝えていく。常に場の文脈やお相手によって「今ならホッピーのどの部分を切り取って伝えればいいんだろう」と考えています。
お客様の関心の高いところは、フォローすべきで、たとえば世の中が健康志向になったら「アルコール度数が0.8%」「低カロリー、低糖質、プリン体ゼロで体に優しい」とアピールするとか、昨年からのコロナ期では、発酵飲料という特徴から「自己免疫力を上げる」とか。
時代に合わせて、どこにフォーカスして発信するかを考えています。

“真似できない企業文化”の確立が重要

Q. 組織マネジメントのお話もお伺いしたいと思います。
企業として大切にされていることやコミュニケーション、マネジメントで意識していることを教えてください。
私が入社を許された1990年代の終わりからマネジメントに関わらせてもらえるようになった2000年代の初めは、少子高齢化やアルコール離れで市場がどんどん縮小化し、明るい見通しではありませんでした。
その中で、100年続くホッピーの歴史を150年、200年とさらに燈を繋げていくためにはどうすればいいかというと、やはり真似されないものを確立することが強みになります。
真似されないものとは何かといえば、企業文化です。
企業文化は人が作っていくものなので、似た文化はあっても、100%同じということはありえません。だからホッピービバレッジ独自の、結果的にお客様に大事にしていただける企業文化を作る。お客様のために、利他の心を持った会社になっていかなければいけない。そういう企業文化を確立していこうと思いました。
ではどうやって作るのかというと、やはり社員一人ひとりの心が大事です。だからこそ弊社の主戦略は新卒採用です。
社会のことを何も知らないピヨピヨに、親が子供に教えるように、社長が自らDNA、心の部分を教える。
技術や知識は仕事を通じて覚え、社長は躾の部分を教えることが大事な使命のひとつだと考えています。
2007年に一期生となる新卒社員が入社し、採用の段階からトッププライオリティで力を入れ、以来15年間毎年改善を重ねてきました。そういう意味では、社員とのコミュニケーションが変わっていったというより、組織が大きく変わっていきましたね。
Q. 真似できない企業文化を構築するための理念や方針とはどのようなものですか?
企業理念は変わっていません。
祖父の本物へのこだわりやお客様に自信を持ってお売りできる製品づくりという創業理念、そし2代目の父が形にした現在の社訓は、絶対に変えてはいけないところだと考えます。
ただ、そのうえで時代に合わせることは大切。祖父や父の時代は、良いものを作れば売れる時代でしたが、今はメーカーが良いものを作るのは当たり前で、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」が話題になったころから、戦略を持つことも当たり前になりました。
つまり、生き残っていくために、どうやってマネジメントで差別化していくのか、考えないといけない時代。だから真似されないものを確立することが大切なんです。
そして企業文化は「真似されないもの」のひとつ。だから、本当に人柄の良い企業文化を育てていきましょう、ということですね。
この「人柄が良い」というのは、私が社長を拝命する直前の2010年にあるお客様から餞にいただいた言葉です。
「ホッピーはロングセラーで、会社も100年という長寿企業の仲間入りになるけれど、なぜそれが実現したか?戦略や商品はすべて後付けで、ホッピーが人柄の良い商品だったから長く愛されたんだよ」と言われて。
では、どうしたら人柄の良い商品が生まれるのか?ということについては、「まず、創業者のお祖父様と2代目のお父様の人柄が良いから。人柄の良い経営者には、人柄の良い社員が集まる。人柄の良い人たちが作る製品は、当然人柄が良くなる。だからホッピーは世代を超えて愛され続けているんだよ。あなたが3代目を継ぐにあたって大切なのは、誰よりも自分の人柄を磨くことだ」と言われたんです。
だからその人柄の良さを磨いていくことが大切だと思っています。
Q. 社長が自分の言葉を社員に伝えていくうえで、ポイントのようなものはありますか?
大事なのは、私が語る、ということ。
たとえば月1回の全社朝礼では、働くこととは、生きることとは何か…という抽象度の高い話もします。ありとあらゆる場で語っていくことが大事ですね。
また、育成については、プロの方と共同開発でオリジナルのトレーニングプログラムを作り取り入れています。
最近、私がありがたいなと思っているのは、新卒で私ががっぷり四つで成長に関わってきた社員たちがようやく社会人らしくなって、“ホッピーピープル”として私の代弁をしてくれるようになっていること。
私も年齢を重ねるたびに新入社員とは歳が離れていくので、どうしても言葉が伝わらなくなるんです。だから私の言葉を理解して、現場にちゃんと翻訳してくれる中間層は必要です。
Q. 最後に、今後の展望について。今後はどのようなことを目指していくのでしょうか。
今後についてお話しするために、まず当社の現状を説明します。
当社の40億円弱の売り上げを占めているのは、ほぼ首都圏の飲食店様。だから今回のコロナ流行で、時短営業などの影響をダイレクトに受けました。
宣言が解除されてだいぶ戻りつつあるのですが、一方で、協力金が切られるため、年末や年度末に向けて暖簾を下ろされようとしている飲食店様も多いと聞いています。
ですから、これまでの2年で市場にどういう影響があったのか、結果がわかるのはこれからなんです。予断を許さない状況ですね。
売り上げはほぼ戻っていますが、どうしても完全には戻りません。

私は東日本大震災の翌年から赤坂2丁目界隈で飲食店様と協力してはしご酒イベントの立ち上げに関わり、コロナ以前まで年に2回開催を続けてきましたが、最後に開催した2019年11月の参加店舗様の3割は、既にご閉店されています。
市場を大きく失ったことは明白です。そうすると、どう頑張っても完全には戻らないということなので、売り上げを戻し、さらに伸びていくためには、新しい市場を開拓する必要があると考えています。
人々の生活は変容し、居酒屋に求める価値も変わりました。以前と同じようにしてもお客様の心には響きません。
これから復興期が始まっていくと思いますが、人々が飲食というものに求めることは何なのか、それを見極めて発信していくことが目指していることのひとつです。
そして、この2年間常に考え続けてきたのが、「コロナ期が明けたとき、経営者として、企業として、社会に求められることは何か」ということ。
世界共通でひとつのことを経験して、皆が同じ痛みを感じた…こんな経験、これまでないですよね。
この世界で初めての経験によって、価値観も変わる。
その変わった価値観の中から新しい歴史を作っていくとき、経営者として、企業として何が求められるのかそこがわからないと世界から必要とされなくなってしまう、と確信しています。

そこで、今考えていることはふたつです。
まず今回、なぜコロナがここまでのことになってしまったのかというと、地球環境の問題が叫ばれていますよね。日本は地震も富士山の噴火もある。もしも富士山が噴火したら、下手をすると東京壊滅です。それは日本の壊滅につながるし、日本の沈没はアジアの沈没、世界の沈没につながっていくとも言えます。そう考えると、経営者としては地球環境のことを考えなければ企業として生き残ることはできないと捉えています。

そしてもうひとつは、少子高齢化の問題です。
当社の社員でも、出産して復職したくても子供を預けられず、退職した女性社員がいます。妊娠してから子育てを終えるまでの期間は長く、その間働けないのはもったいないですよね。また、奨学金を返すことに手一杯で結婚できない若者がいるなど、様々なことが負のスパイラルになっていると感じます。
既に少子化で社会に歪が出ている。 お元気な高齢者は多いけど、くすぶるしかない現状もあります。ベネッセ名誉顧問で福武財団理事長の福武總一郎さんからいただいた心に響き続けている教えのひとつですが、「歳を取るほどハッピーになっていく社会でなければおかしい」と。
今の若い方々が安定安寧な社会で生きていられるのは先達が頑張ったからなので、歳を重ねるほど幸せにならなければいけないはず。 そういう意味でも今の社会はおかしいと仰っています。そう考えると、やはり少子高齢化は大きな問題のひとつだと思うんです。
これからはホッピーの製造を通じて、このふたつのことに取り組んでいこうと考えています。
そこで、年明け早々に「ホッピーアースプロジェクト」というプロジェクトを立ち上げる予定です。
実はコロナ前に、ニューヨークで国連開発計画(UNDP)の方とお話しして一緒にプロジェクトを手掛ける予定だったのですが…。
その方は、「これは日本人初の国連難民高等弁務官でした緒方貞子さんの遺言でもある」と仰っていて、地球環境問題について「有識者が語っているだけではダメだ、それでは何も変わらない」と。
70億人の地球人一人ひとりが少しずつ行動を変えないと、地球破壊は止まらない。来年はニューヨークとの往復の中で、世界の最先端の動きをキャッチして仲間とともに発信し、自社に取り込んでいきたいと考えています。

ホッピーアースプロジェクト

※掲載の記事は2022年1月時点の内容です。
掲載内容が変更となっている場合がございますので、ご了承ください。

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