一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 > スペシャルインタビュー > 日本理化学工業株式会社 Vol.2
聞き手:一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 代表理事 岩本俊幸
【日本理化学工業株式会社のプロフィール】
日本理化学工業株式会社は昭和12(1937)年創業のチョーク製造会社。
粉の出にくい「ダストレスチョーク」でチョークのトップシェアを誇る一方、昭和35(1960)年から知的障害者の雇用を開始。現在、社員83名のうち知的障害者が61名(重度28名)と、障害者雇用率は70%に達する。
平成17(2005)年には企業フィランソロピー大賞特別賞〔社会共生賞〕を受賞。
平成21(2009)年10月には鳩山由紀夫首相が川崎工場に視察に訪れた。
テレビや書籍などでも数多く紹介される。
大山泰弘会長は障害者雇用に取り組む中小企業の経営者にとってカリスマ的存在。
平成20(2008)年には長男の大山隆久さんが後継者として社長に就任した。
聞き手
障害者雇用を始められたのは、どのような経緯からですか?
大山
昭和35年の4月に正式採用したのが最初でした。前年の秋口に、世田谷区の青鳥(せいちょう)養護学校の先生が就職依頼で訪ねていらしたのがきっかけです。当時、養護学校は中学くらいまでというのが当たり前で、15、16歳の女の子二人の就職を依頼されたのです。今でこそ「知的障害者」という言葉を使いますが、当時は「知恵遅れ」、「精神薄弱者」や「精薄」といった差別用語が普通に使われていた時代です。現代のようにインターネットで何でも検索できるわけでもありませんし、障害者について「何ができて、何ができないのか」「どういう人なのか」という情報もほとんどありません。そんななか当時の定年は55歳でしたから、「15歳の子を採用したとして、40年間に渡って最低賃金を保証して雇用するという責任は負えない」と弊社では採用をお断りしたのです。ところが他でも断られてしまったようで、しばらくして再度の訪問を受けまして……。何度かお断りするうち、「就職は諦めるが、短期間でいいから働く経験をさせてやってくれないか?」とお願いされたのです。
大山
そこで二週間の実習を引き受けました。実際の現場に二人を受け入れてみると、休み時間になっても手を止めないくらいの熱心さで仕事に取り組んでいました。それが一日二日ではなく、二週間の期間中ずっと続いたのです。その頑張りを見ていた周囲の社員が「これだけ頑張ってくれる子たちだし、たった二人。何かできないことがあれば自分たちがフォローするから、採用してやって欲しい」と父(泰弘現会長)の元に直談判に来てくれました。その言葉を受けて、次の春から正式に社員として迎えることになりました。
聞き手
障害者を現場に受け入れることに、困難はなかったのですか?
大山
最初の二人がとても頑張ったという実績から、徐々に障害者の雇用を増やすことになりました。とはいえ、すべての障害者が同様にできるわけではありません。何かあると物にあたったり、大声をあげたりという人もいたようです。そうなると「仕事を円滑に進めるために、どのように指導したら良いのか」という悩みが発生します。さらに健常者の社員には「苦労して教えて、失敗もフォローしているのに、給料にほとんど差がない」という不満も出てきて、コントロールが難しくなってきました。当時の社長であった父としては「このままでは経営が成り立たなくなる」と危惧しながらも、一度雇った人を放り出すわけにもいきません。そんな状況にあった時に、禅のお坊さんから「人の幸福とは、①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役に立つこと、④人に必要とされることである」というお話を伺ったのです。そこで健常者や障害者に関わらず「働く幸せ」というものがあることに気づいたのですね。当時まだ健在だった創業者、すなわち私の祖父にも相談したところ、「働く幸せを追求する会社を目指すのも良いのではないか」という言葉を受け、腹を決めて取り組むことにしたそうです。そこからは相手の理解力に合わせて説得し、伝えていくことで、着実に歩んできました。障害者である彼らが「戦力」となっていくことで、まわりの社員も安心し、職場全体が落ち着いたのです。そういう経緯を辿りながら、昭和50年に障害者雇用のモデル工場に認定されるまでになりました。
聞き手
健常者と障害者の社員で、その在り方や扱いに何か異なる部分はありますか?
大山
現在、弊社では社員の7割が障害者です。当然、社内での役割によって、責任や義務といった部分では差があるところもあります。健常者の社員は入社時の年齢に関わらず、現場に入った瞬間から上に立って教える立場にならなければならないという現実もありますから。ただし、ひとりの人間として、そしてひとりの社員として「どうあるべきか」というところでは、そこに差を意識したことはありません。健常者も障害者も持っている力を出し切るというシンプルな理念に尽きるのです。
聞き手
障害者、健常者という区分けではなく、もっと人間の本質的な部分を意識されていると?
大山
それはあります。障害者である社員と接することによって、私自身も何か鎧が取れていくというか、シンプルな方へと変化してきたことも感じます。とても人間らしく、素直な方たちなので、取り繕っているのが馬鹿らしいというか……。ものごとはストレートに伝えるのが一番良いですし、格好をつける必要はないということを思い知らされるのです。相手が障害者であることでコミュニケーションの部分での難しさはもちろんあります。とはいえ語弊はあるかもしれませんが、ことコミュニケーションのトラブルに関していうと、健常者同士の方がよっぽど複雑になる傾向があるようにも思います。健常者が障害者に伝える際には、相手の理解に合わせるということができるのです。しかし健常者同士になると、なぜかその努力を忘れてしまう。障害者に何かを説明した後「分かった?」と聞くと、だいたい「分かった」と返答します。しかし、それは絶対に鵜呑みにしてはいけない言葉です。その後の行動を見て、本当に理解しているかどうかを確認することが欠かせないのです。障害者相手だとそれができるのに、健常者同士になると確認もせずに「分かっているだろう」で済ませてしまう。だからコミュニケーションのギャップが生じたり、言った言わないのトラブルになったりします。弊社でもすべてのコミュニケーションにおいて、障害者に対するのと同様の「伝える努力」ができるようになることは課題です。他社と違い、社内に「これではいけないな」ということを気づかせてくれる先生がいっぱいいますから(笑)。
聞き手
障害者雇用における注意点や苦労を伺いましたが、逆に障害者雇用によって得られるメリットとは何でしょうか?
大山
障害者雇用というと「素晴らしいことをやっていますね」とか「社会貢献うんぬん」などと言っていただくことが多いのですが、弊社からすると当たり前のこと。特別なことをやっているという意識は社内にもありません。とはいえ、やはり困難なことも多いですし、新規に障害者雇用に取り組む企業に対して私からアドバイスをするというたいそうな事もできません。ただ唯一言えるのは、障害者を職場に迎え入れることで、「雰囲気が変わりますよ」ということ。誰かが何かをできなかったら、自然と「やるよ」という言葉が出る。思いやりとか手助けとか、彼らがいるからこその発想なのですね。障害者と一緒に仕事をしていると考えさせられることもありますが、やはり素に戻って優しさを発揮できるというか、そういう風にしてくれる人たちなのかなと思います。さらに物事の本質に気づかせてくれるという点もメリットです。障害者、健常者という枠組みはもちろん、世代や性別などあらゆる垣根を越えて、すべての人間が持っている本質を見抜く目が磨かれたことで、新たな商品ニーズを見出す際にも力を発揮しています。
聞き手
今後の経営で、特に目指したい目標や夢は何でしょうか?
大山
目標は「働く幸せの実現」に尽きます。そのために、商品を生み出す意義を社内でも大事に伝えるように心がけています。「意義ある商品を生み出せている」というやりがいは、大きな「働く幸せ」に繋がりますから。理化学ブランドの商品が世の中の人々を幸せにしているという自負は、社員にとっても幸せに繋がるのです。例えば「キットパス」で言えば、すべての世代の人に楽しく描くという「楽書き文化」を提案したいと考えています。絵を描くことは小さなお子さまの創造性や情緒を高めるだけでなく、大人にとっても心の発散や脳の活性に非常に良い行為です。幅広い世代に「楽書き」をしてもらうことで、その人の心が安定すれば、その人が属しているコミュニティも安定し、そこから社会全体の安定にも繋がっていくでしょう。たった1本の筆記具ではありますが、「社会の安定に繋がる大きな価値を持つものを作っているのだ」ということを、ことあるごとに社内でも伝えています。「キットパス」を通じて描く楽しさを感じていただくことが、ひいては世の安定にも繋がる。そして、それが弊社を支える柱となってくれれば、それはとても喜ばしいことです。
聞き手
本日はどうもありがとうございました。
※掲載の記事は2017年5月時点の内容です。
掲載内容が変更となっている場合がございますので、ご了承ください。