一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 > スペシャルインタビュー >浅葉克己氏
【プロフィール】
桑沢デザイン研究所 第10代所長
浅葉 克己氏
1940年生まれ、神奈川県出身。桑沢デザイン研究所、ライトパブリシティを経て、75年に浅葉克己デザイン室を設立。サントリー「夢街道」、西武百貨店「おいしい生活」など数々の広告を手がけるほか、民主党のロゴマークも制作。日本アカデミー賞、紫綬褒章など受賞多数。卓球六段。2008年に21_21 DESIGN SIGHT「祈りの痕跡。」展を開催。同展の空間デザインと出品作品「浅葉克己日記」で2009年ADCグランプリを受賞。
聞き手:ブランド・マネージャー認定協会 ディレクター 能藤
聞き手
浅葉さんといえば卓球のイメージが強いです。ご自身がプレイヤーでもあると同時に、87年からイメージアップのプロジェクトを手掛けていますよね。今でこそ、卓球に暗いイメージは全くありませんが、たしかに当時はあまり明るいイメージはなかったような気がします。具体的に、どのような施策を行われたのでしょうか?
浅葉
まず、卓球のイメージアップを図るため、「卓球ディナーショー」を開催しました。世界チャンピオンとオリンピックの金メダリストを招待して、ディナーショーで対決させました。 世界チャンピオンの荻村伊智朗さんが面白い方で、イメージアップのために「卓球ディナーショーをすればいいんじゃないか」と提案されたことがきっかけですね。そもそも卓球はパーティーの余興から始まったスポーツ。パーティーといえば、男性はタキシード、女性はドレスを着て出席するものなので、ディナーショーもこのイメージでやろう、と。また、卓球台も長方形ではなく、三角形にしたり、丸くしたりしましたね。台の色も、普通はグリーンですが、会場に40台も並ぶと見た目が暗くなってしまうのでブルーに変えて、ボールもイエローにしました。
聞き手
ブルーの卓球台とイエローのボールは、浅葉先生がデザインされたのですか。
浅葉
そうそう(笑)。ただ、ボールは結局、最終的に白になってしまいましたけどね。これらのアイデアを形にしてディナーショーを開催したら、情報があっという間に世界中に広まりました。
聞き手
卓球の世界観を明るくしようという工夫ですね。ほかにはどのようなことを?
浅葉
世界卓球選手権大会のポスターも2回、制作しました。ひとつは、日本画家の中村貞以の絵を使わせてもらった、舞妓さんが卓球しているデザインのポスター(第41回)。もうひとつは、グラフィックデザイナーの奥村靫正さんに風神雷神の絵を描いていただいたポスターです(第46回)。風神雷神がロボットになっているんですよ。どちらも、歴史に残るようなものを作った方がいいのではと思って制作したものです。いまはプレミアがついて、大変な値段になっているそうですが(笑)。ディナーショー、ポスター制作以外では、ピンポン外交コンサートも3回開催していますね。
聞き手
なるほど。卓球のイメージを明るくする施策を意図的に、かつ継続的に打ち出していったわけですね。当時はまだ「ブランディング」という言葉は今程一般的ではなかったと思いますが、実際に取り組まれたことをお伺いすると、これはもう「卓球のブランディング」ですね。
浅葉
なるほど、そうですね(笑)。私は卓球のブランディングをやったことになりますね(笑)。
聞き手
浅葉先生は民主党の98年の結党のときに、ロゴ制作もされています。ロゴは2009年に政権を獲得したときにも世間でクローズアップされましたね。
浅葉
ロゴは3回、作り直しました。途中で羽田孜さんが「(党名は)太陽党がいい」と言い出したんです。それで、ふたつの丸をデザインして、「これは太陽だよ、新しい太陽がのぼるんだよ」と提案して採用されたんです。
聞き手
そのような経緯があったんですね。最近の仕事では、アパレルブランドの「ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)」が京都に出店した際のデザインがありますね。2017年にはアルファベットのロゴを作られています。
浅葉
18年に京都に出店したときのものですね。「MIYAKE」のAの文字が、三角マークになっているんです。これは「イッセイ ミヤケ」が新しい方向に向かっていくという意味を込めています。
また、「一」のデザインは、一生だから「一」がいいかなと考案しました。一は、書道で最初に書く字であり、書くのが一番難しい字でもあるんです。実はこのロゴを作ったとき、中国の唐代の顔真卿(がんしんけい)という書家が44歳のときに書いた楷書の「一」の字に挑戦したんです。もちろんデザイナーが書家になる必要はないのですが、デザインをするうえでは、筆を持つ経験をした方がいいというのが私の持論ですね。たとえばコンピュータでは一本の線しか出ませんが、何百本もの動物の毛から作られた筆をコントロールすることは、至難の業なんです。世のデザイナーには、そこに挑戦してほしいという思いがありますね。他にうちわも作りました。
聞き手
京都という土地柄、和風のテイストを採り入れたんですね。
聞き手
最後に、桑沢デザイン研究所での教育についてお伺いします。桑沢は、デザインは作るだけではなく説明する能力も求められる、という背景から、実践的な教育を重視していますよね。
浅葉
ドイツのバウハウスをモデルに発足していますからね。その考え方をカリキュラムに反映しているのはもちろんですが、毎年バウハウスゆかりの地を巡る研修旅行も企画しています。
聞き手
今後の学校教育はどのように展開していくべきとお考えですか。
浅葉
もっと面白いことをいっぱいやった方がいいと思いますね。最近は、「手を動かせ」と盛んに言っています。桑沢では、手が動かないと何もできないですから。手の可能性、5本の指の可能性はすごいですよ。そこにあらゆる可能性が秘められているんです。これからも、そこを重視して教えていきたいですね。
聞き手
最後に、ブランディングに関わっている人やクリエイターに向けてエールをいただけますか。
浅葉
大切なことは、やっぱり“アイデア”ですね。ひらめきとも言います。よく、漫画だと、キャラクターが何かひらめいたときに頭の中に電球が出てくるけど、まさにあれですね。ただ、ひらめきを生むためには、やはり手を動かして、本を読まないといけないでしょう。あと、仕事を断っちゃだめ、とも言いたいですね。僕は規模の大小に関わらず、仕事は断らないんです。その方がきっと、面白いですよね。
※掲載の記事は2019年3月時点の内容です。
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