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一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 > スペシャルインタビュー >橋本明元氏

日本と世界の「架け橋」になりたくて、私たちは働いています。

橋本 明元氏

【プロフィール】

株式会社王宮 道頓堀ホテル
専務 橋本明元氏

一般財団法人ブランド・マネージャー認定協会 アドバンスコース受講者

株式会社王宮 道頓堀ホテル専務取締役。1997年、同志社大学法学部を卒業後、川村義肢株式会社に入社。4年後、株式会社王宮に入社するも翌年退職。上海国際語学学院へ留学後、上海国際貴都飯店、青島シャングリラホテルで営業スタッフとして勤務し、道頓堀ホテルへ再入社。2008年、ターゲットを日本人のお客様からを海外のお客様に大きく方向転換し、驚異の客室稼働率を誇るホテルとなる。その経営品質が高く評価され、日本サービス大賞、経済産業省のおもてなし企業選等、各賞を受賞。1975年豊中市出身。



聞き手:株式会社オレンジフリー代表取締役、ブランド・マネージャー認定協会マスタートレーナー 吉田ともこ




「日本の文化とおもてなしを体験できるホテル」というブランド・アイデンティティを軸に、ホテル事業を展開している道頓堀ホテルグループ。訪日観光客で賑わう大阪のホテルの中でも、とりわけ外国人に評判の良いホテルです。日本文化体験や「あったらいいな」の無料サービスなど、独自のサービスを磨き上げると同時に、社員が誇りを持てる会社づくりに取り組んでいることでも知られています。日本サービス大賞優秀賞、経済産業省おもてなし企業選、ホワイト企業大賞国際かけはし賞、経済産業省先進モデル企業など各賞を受賞し、国内では業界を超えてベンチマークされる存在です。ホテル事業を統括する橋本明元専務に、現在の形になった背景や、従業員の育成手法、今後の展望などについてお話を伺いました。



インバウンドに特化したホテルとして

聞き手

御社はブランド戦略、社風、使命感の三位一体経営をされていますね。私はベーシックコース、アドバンスコースと担当させていただき、ブランディングパートナーとしてずっと伴走させていただいていますが、今日は改めて、道頓堀ホテルブランドの強みを掘り下げるインタビューをさせていただきたいと思います。
道頓堀ホテルグループは、インバウンドに特化したホテルとして、マスコミに何度も取材されていますね。特に日本文化体験は、大きな話題になりましたね。


橋本

「日本の文化とおもてなしを体験できるホテル」というブランド・アイデンティティができたのは2012年。それに伴って月替わりのロビーディスプレイや日本文化の体験イベントを手探りで始めました。着物の着付け、生け花、たこ焼き、たい焼き、握り寿司体験など……やっては工夫し、またやってというように回を重ねて、スタッフみんなが上手にやれるようになりました。「日本の文化に触れて楽しんでいただいて、日本を好きになって帰っていただきたい」、その一心でやり続けてきました。ペルソナは東アジアの個人客で27歳の女性、「日本が好きだけど日本に詳しくない人」。スタッフはその方々に向けて、次々と日本文化の体験イベントを企画してくれています。



聞き手

ブランド・アイデンティティを文字面に終わらせず、意味や意義を社員にきちんと下ろして仕組み化できる会社は少ないと思います。特にサービスは商品と違って形が無いし、提供する人でバラつくから仕組み化が難しいでしょう?


橋本

そうですね。ホテルの場合、サービスを提供する人が多人数になりますので安定したサービスを提供するのは難しいのですが、おもてなしの心をスタッフ全員が持って、ブレなくムラなくやってくれています。


聞き手

業界の常識にとらわれない、「あったらいいな」の無料サービスも有名ですね。


橋本

毎晩22時半以降は、ロビーでラーメンとアルコール飲み放題です。ホテルのロビーは一般的ににおいを出すのはタブー。でも道頓堀ホテルは、お客様に喜んでいただくためならやります。国際電話は5分間無料、自転車も貸し出し無料。ポケットWi-Fiの貸し出しも、冷蔵庫の中のドリンクも無料。今では20を超える無料サービスがあります。お誕生日にはケーキもプレゼントしますし、病気になられたときは病院までタクシーでお連れして通訳をするなど、いろいろやっています。


聞き手

そこまでして大丈夫?と言われませんでした?(笑)


橋本

それはもう何度も言われました(笑)でも、「無料だからこそこだわれ」というのが私の考え。たとえばラーメンを提供しているホテルは他にもありますが、道頓堀ホテルグループでは醤油・とんこつ・塩・味噌…日替わりで味を変えています。うちは中国料理の宴会事業もしていますので、グローバルなコンクールで受賞した中国料理のシェフが味の監修をしています。無添加にもこだわっています。お客様に「さすが日本、ここまでするんだ」と思っていただければ。



聞き手

普通は経営者がそうして欲しくても、社員が面倒がったり、反発することが多いですね。なのに、道頓堀ホテルにはなぜそれができるのでしょうか?


橋本

皆の使命感が一致しているからだと思います。私たちは「日本と世界の架け橋になる」という使命感のもと、仕事をしています。


祖父の故郷、そこで見たもの

聞き手

使命感はどうやってできたのですか?


橋本

これは私のルーツ、道頓堀ホテルの創業から現在までの歴史と深く関わっています。道頓堀ホテルは、1970年に祖父が開業し、今年で創業50周年になります。私は同志社大学を卒業して、最初はホテル業界とは全く関係のない福祉用具の会社に入りました。能力がなくても社長の息子だから入れる、ポジションも用意されるということに抵抗がありました。


聞き手

それが一転した。ターニングポイントはいつですか?


橋本

中国の揚州へ行った時です。実は私の祖父は中国人です。14歳で日本に来て丁稚としてスタートし、苦労して道頓堀ホテルを興しました。私が社会人二年目の時、父、兄夫婦、私と妻で祖父の故郷に行くことになり訪れてみると…そこにはガスもトイレも窓もなく、あまりにも貧しい光景がありました。ああ、こんなところから異国の地に来て道頓堀ホテルを作ったのか、と涙が溢れました。
私は中国人の父と日本人の母との間に生まれました。それにまつわる思い出したくない過去があります。だから、中国人の血が入っていることが嫌で嫌で仕方がなかった。でも、祖父の故郷を見た時、初めて中国人の血が入っていること、華僑であることに誇りを感じました。自分は「日本と世界の架け橋になるために生まれてきたんだ」と気付いたのです。「祖父が作ったこの会社をつぶしてはいけない」「この会社のために尽くしたい」と心底思いました。


聞き手

「日本と世界の架け橋になる」という使命感は、橋本専務の必然だったのですね。


橋本

そう思います。日本に帰ってから、がむしゃらに仕事に打ち込み、トップクラスの営業成績を上げられるようになり退職。26歳で道頓堀ホテルに入りました。


聞き手

入社されて、いかがでしたか?


橋本

「このままではまずいな」と思いました。社風も業績も悪い。私がする仕事もない。結局、一年ほどで会社を辞め、中国へ語学とホテル業の修行に行きました。3年計画を立て、必死で中国語を勉強して、4つ星ホテルや5つ星のシャングリ・ラ・ホテルで働きました。シャングリ・ラでは、客室のクレーム担当係でしたので、口では言えないほど辛い思いもしました。結局、中国には5年間いて2007年に戻ってきました。


聞き手

5年の間に道頓堀ホテルはどう変わりましたか?


橋本

ちょうど大手チェーンのビジネスホテルが進出してきた頃で、価格競争に喘いでいました。そこから脱出するため、必死で戦略の勉強をしました。カテゴリー戦略、ブルー・オーシャン戦略と学び、その後、ブランド戦略に行き着いたわけです。「誰に対してどんな価値を提供するのか」。ホテルの部屋を売るのではなく、体験を通して思い出を売る。これだ!と思いました。しかし、当時は社員が辞めていくことが常態化していました。社風が悪く、いくら戦略を立てても人がついてこなかった。ここで分かったのは、戦略だけでは限界があるということ。戦略で差別化しても、社員は共感してくれないと身にしみました。


聞き手

良い社風があってこそブランド戦略が実行できるのですね。


橋本

そう思います。働く人がやる気にならない限り成功はありません。さらに仕事を通して誇りが持てないと、やりがいは生まれない。継続的にやり続けることはできません。自分は何のために仕事をするのか。長い年月がかかりましたが、「社会性を持った使命感」でみんなの足並みが揃った時、初めてお客様に応援してもらえる会社になるのだとわかりました。


新卒採用では「家庭訪問」のため海外へ

聞き手

働く人全員で道頓堀ホテルブランドを支えていると感じますが、御社は5年前から新卒採用をスタートされましたね。今では年間でトータル300名が会社説明会に来られる。中小企業では驚異的な数字です。どのような方がエントリーされるのですか?



橋本

日本人ですと、留学経験がある方や、外国語を勉強していて日本と世界をつなぐ仕事がしたいという方。外国人ですと、自国の人に日本の良さを伝えたいという人が多いですね。


聞き手

自社に合った人をどのように選ぶのですか?


橋本

採用の過程は、5段階です。1回目は説明会で、道頓堀ホテルグループは何を使命として仕事をしているのかを私が話します。70分以上は喋りますね。2回目はグループ面接。3回目は現場スタッフとの面接。そして4回目が私との面接です。そもそもの前提として、「日本と世界の架け橋になりたい」という思いがあること。なぜ架け橋になりたいと思うのか、論理的に説明できればOKです。5回目は職場体験として朝から晩まで働いてもらい、「本当にここで働きたいかどうか」を聞きます。同時に、出勤している社員にこの方を採用してもいいかを聞いて、全員の賛同を得られなければお断りします。さらに、そのあとは内定者合宿も行い、最後は家庭訪問。親御さんに当社の理念や使命感を伝えると同時に「お子様をなぜ採用させていただいたか」を伝えます。これまでで最も遠かった家庭訪問は、ネパールです(笑)。


聞き手

採用の仕組みが素晴らしくて真似したい会社は多いと思うのですが、他社がそのまま導入してもうまく行くとは限らない。仕組みはそれを支える土台があって初めて機能するということを感じます。 ところで1年目はどのような部署に配属されるのですか?


橋本

うちでは全てフロントスタッフとしての採用です。一般的に、ホテルではフロント、予約、ベル、営業……と部署が分かれているのが当たり前ですが、それだと部署間に 「壁」ができてしまうため、うちでは部署を作らないんです。たとえばフロントの人は予約の仕事はしないのがホテル業界の常識ですが、当ホテルは助け合う社風なので、全員がすべての業務を担当します。私が海外へ営業に行く際には、営業マンの気持ちが分かるようになってほしいのでフロントスタッフを連れていくようにしています。


聞き手

以前と比べて離職率は変化しましたか?


橋本

私が道頓堀ホテルに再入社した頃、2カ月に一人は退職者が出ていました。今は、寿退社や留学目的の退職者はいますが、仕事が嫌で辞めた方はほとんどいません。


聞き手

採用後の育成はどうされているのですか?


橋本

毎月、社員とアルバイト、全員が経営の勉強会をしています。いろいろな中小企業の成功事例が書いてある経営誌を読んで、その記事に対する設問に回答してもらいます。提出された回答用紙に私が最後にコメントを書きます。毎月、20~30時間ぐらい“赤ペン先生”をしていますね(笑)。また、毎日、朝礼で一日の気づきなどを発表してもらい意見を出し合っています。その内容は、道頓堀ホテルグループでネット共有。あとは合宿ですね。幹部合宿、内定者合宿、同期だけの合宿など、異なるメンバーでさまざまな合宿を行っています。ここでは、仕事を通して成長したことや、来年の計画・目標などをプレゼンしてもらうことが中心。みんなでディスカッションして、最後に私がコメントします。


2020年、沖縄にホテルを開業

聞き手

2016年に「ザ ブリッジホテル心斎橋」、翌2017年には「大阪逸の彩(ひので)ホテル」を開業されましたね。


橋本

「ザ ブリッジホテル心斎橋」は私たちが土地を買って建設したホテルで、「道頓堀ホテル」と同じように、海外の個人のお客様がターゲット。宿泊特化型で部屋も広く設計しており、いわば旅館のようなホテルですね。ラーメンが作れる機械を厨房にセッティングしたり、いろいろなことを試しています。
「大阪逸の彩ホテル(ひのでホテル)」は運営のみを行う形で、団体のお客様に対応できるように、ロビーを広くしたり、部屋数を多くしたりしています。また、貸し切り風呂が15ある温泉棟も作りました。五右衛門風呂もありますよ。お風呂で日本文化を体験できるようになっています。



聞き手

さらに2020年には、沖縄にホテルを開業されますね。


橋本

当初、開業するつもりはなかったんです。ホテルのオーナーが運営会社を探しておられ、私どものところにお話を持って来られました。規模を大きくしようと思っていないので、始めはお断りしました。ですが、「橋本さん、一回でいいのでこの場所を見てほしい」と言われて、現地に行ってみたら、那覇空港近くの牧志駅から徒歩1分という、最高の立地だったんです。それから沖縄のことを改めて調べてマーケットの可能性を感じ、非常に面白いと思いました。


聞き手

その時点で開業を決断されたのですか?


橋本

いえ、「何のためにやるのか」という意味を考え、悩み続けました。現地に行って釣りをしていたら、頭上を戦闘機が轟音で飛んでいくんです。沖縄は、島の20%が米軍基地。「こんなに美しい島なのに平和と遠いなあ」と思いました。
もし、私たちが沖縄にホテルを作り、海外の方に来ていただいて、沖縄を好きになって帰ってもらえたら、もしかしてその想い出が戦争の抑止力になるかもしれない。世界平和のお役に立つかもしれない、と思ったんです。これなら命を賭けてできる、と思いました。その考えを何名かの社員に伝えてみると、「専務の思いに共感します」と言ってもらえ、開業を決断しました。


聞き手

ブランド・アイデンティティは「日本の文化とおもてなしを体験できるホテル」でしょうか?


橋本

ブラさず、今とまったく同じことをするつもりです。加えて、大きなプールを作り、その横では温泉にも入れるようにしようと考えています。


心の国境がなくなる日を目指して

聞き手

ホテル産業は平和産業だと、橋本専務はよく言われていますね。


橋本

はい、ホテル産業は平和のバロメーターです。世界が平和でなければ成り立たないんです。ですから業績が伸びることは、平和に貢献できているという自負があります。
たとえば韓国人で「日本が嫌い」という方は、もしかしたら日本に来たことがなく、もし来たとしても日本の本当の良さを知らずに帰った方がほとんどだと私は思います。私たちがしているようなサービスや人との触れ合いを通して、日本の良さを伝えていくということを他のホテルでもやってくださったら、「嫌い」という方の誤解も解けるのではと思っています。国民同士が仲良くなることは、国家間の関係にもつながります。ですから、宿泊事業というよりも「平和事業」と思って経営しています。


聞き手

この考えは、持続可能な開発目標「SDGs」とも共通していますね。


橋本

SDGsでいうと、まず8番目の「働きがいも経済成長も」だと思います。沖縄で雇用を生み出し観光産業を成り立たせると、持続的な成長につながります。大目標は、16番目の「平和と公正をすべての人に」。観光産業は、人や国の不平等があっては成り立たない産業です。ただ、私たちはSDGsがあるから行っているわけではないのです。それよりも、仕事を通して世の中のお役に立つ方が大事で、振り返って考えてみて、「今やっていることはSDGsに合致するのだな」と気づいたということですね。
祖父が苦労して苦労して立ち上げ、父が「誠実」「謙虚」を大切にして発展させてきた事業です。国境がなくなる日はこないけど、心の国境がなくなる日がいつかくるようにと思って、これからも仕事をしていきます。



左が橋本氏、右が吉田

※掲載の記事は2019年11月時点の内容です。
掲載内容が変更となっている場合がございますので、ご了承ください。