一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 > スペシャルインタビュー >津端 裕氏 Vol.1
聞き手:一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 代表理事 岩本俊幸
【津端 裕氏のプロフィール】
1986年アキレス(株)入社、シューズ事業部量販店部配属。
ダイエー、イトーヨーカ堂、靴のマルトミ、イオンを担当。
以後、ほぼ19年間は、量販店担当一筋の営業人生を歩む。
2000年より営業兼務で商品企画開発リーダーを務め、
レディスカジュアル担当からアダルトスポーツシューズ、
ジュニアスポーツまで担当。
02年「瞬足」開発に携わる。
05年商品企画部、商品企画課課長(開発専従)で商品企画開発リーダーも継続兼務。
07年商品企画開発部部長(兼商品企画課課長)。
10年商品企画開発本部副本部長。
11年事業企画本部 副本部長MD室室長兼務。
聞き手
まず、津端さんのこれまでのキャリアを教えていただけますか。
津端
27年前の1986年にアキレスに入社して、営業に配属されました。アキレスはご存知のようにシューズメーカーで、私が入社する前は、子会社である販売会社(販社)から小売り流通へ卸すというシステムでした。ちょうどそのころから、流通に変化があり、新たに台頭してきた量販店のセントラルバイイングに直で対応する量販店部という部署ができて、そこにいきなり新人で配属されたんです。
聞き手
ど真ん中の営業部隊ですね。
津端
その部署は、販社出身の営業マンとか問屋を担当していた営業マンなど、ベテランの精鋭ぞろいの部隊でした。そこに、いきなりの新人が配属されたんです。商売以上に、その部隊の中で仕事をやっていくのがしんどかったですね(笑)。
商売の方では、日の出の勢いだったGMSと仕事ができたというのは、ある意味でラッキーでした。そこで覚えたノウハウは、その後の商品開発にも非常に役に立っています。
開発専従になったのは2005年ですが、実はそれまで弊社にはマーケティングシステムというものがなく、強力なトップダウンで「こういうものを作ったらどうか」という人がいて、その指揮のもとに開発が動いていたんです。しかし、その人が勇退してしまうと、新商品を開発するノウハウがないという危機感があったんです。
当時のトップの方はシューズが大好きで、海外情報などにも精通しており、靴作りを非常に熱心に研究していた人でした。また、何でも作れば売れる時代でもありました。
そのトップが勇退される時期と、外部環境が変化する時期がちょうど重なったんです。生産も、国産からOEM(取引先ブランドによる生産)へパラダイムシフトしており、生産基地が台湾、韓国、中国などへ移っていった時代でした。アキレスもその流れに乗ったのですが、国内にある自社工場を稼動させなければならないという足かせから、完全にシフトするのが遅れたのです。
そういうこともあり、次に何を作ればいいのか分からない、かといって海外生産によるコストメリットもうまく引き出せない、というジレンマの中で、営業も兼務していた7人の商品開発リーダーたちに、「君たちが商品を企画して、在庫責任まで持って当たってくれ」と次代の商品開発を託されたのです。その中の一人が私でした。
で、2005年から開発専従になったわけですが、営業から開発専従になったのは、社内でも私が初めてでした。
聞き手
それまで19年間、ずっと営業だったのですか?
津端
1999年に営業を兼務しながら企画開発リーダーに選ばれて、製品開発の仕事にもタッチしています。しんどかったのは2007年に部長に昇格してからですね。部下の管理職は全員年上でしたし、職人気質の人もいましたから。その中で、自分たちがやりたいこと、やらなければならないことを共有させて、同じベクトルを持たせるのは、ものづくりよりも大変でした(笑)。
聞き手
一番しんどいのは人のマネジメントですね。ところで、津端さんがいろいろなメディアに出られるようになったのは、ここ2、3年前からですよね。
津端
2009年ぐらいから、東京大学の駒場キャンパスで講義を始めてからですね。いろいろなところから声が掛かるようになったのは。
聞き手
じゃあ、ある意味、やることがどーんと増えてきたときに、いろいろなところに露出する機会も増えていったということですね。
実際に「瞬足」の開発がスタートしたのはいつからですか?
津端
開発のスタートは2002年の11月で、実際に流通が始まったのは2003年5月からです。
聞き手
非常に短期間で製品化にこぎつけたのですね。
津端
弊社の企画開発は、春夏、秋冬の年2回なんですが、2003年秋冬商品の開発は、実は9月ごろから入っていたんです。その途中から「瞬足」の企画がスタートしました。
聞き手
その前の主力ブランドだった「ランドマスター」でもけっこう実績を上げていたのでしょう?
津端
ええ。実はこれを話すと自慢になってしまうのですが、1999年に「ランドマスター」で防水商品を作って、これがものすごく当たったんです。価格は1980円なのに防水なので1単品で20万~30万足のヒットになった。
その成功がきっかけとなって、半減していた「ランドマスター」がまた盛り返したんです。しかし、その後、もうこれ以上改善の余地はないなと限界を感じていました。
聞き手
そんな中で、「瞬足」はどうして生まれたのですか。
津端
「ランドマスター」をやり続けるのもいいけれども、もうやりつくしている。1980円の防水商品という、機能もコストもある種究極的なものを作ってしまった。何か別なことをやるには新ブランドしかないなと。で、次シーズンの開発の期中に、営業有志で取り組んだのが「瞬足」の企画でした。
聞き手
新ブランドを立ち上げる際のテーマは何だったのですか。
津端
アキレスはずっと通学履き、上履きを作ってきた会社で、「ランドマスター」も普通の通学靴です。子どもが学校に通う靴というのは大命題なわけです。
聞き手
そこにイノベーションを起こす新しいアクションが必要だったんですね。その時点では、どういうシーンで使われるかという「お題」はまだなかったと。
津端
テーマはそれほど難しいことを考えるわけではありません。「ランドマスター」のときも、他社が2500円で売っている防水機能の商品をむりやり1980円で出したのは、20万足、30万足のロットで出したかったからなんですよ。「商品作りました。防水で2500円です」では大した数は出ない。最初から「50万足やる」というくらいの発想から入らないと、1980円という上代は出てこなかったと思います。
聞き手
では、新ブランド「瞬足」のベースはどこに置いたのですか。
津端
お母さんの視点です。お母さんが子どもの通学履きに求めるのは、軽さ、安全性、耐久性、買いやすい価格です。そこをベースにした上で、もう一度ナンバーワンの商品を作るにはプラスアルファが必要でした。「プラズマ」シリーズの光る靴のように、カッコよさを表すギミックをどう押さえるか。実はそこに一番悩みました。
そこで、小学校で一番流行っているものは何かを探ってみました。それはキックベースだったり、2002年ワールドカップが終わった後だったのでサッカーだったり。でも、それでは他社と同じになってしまう。
そうやって、アイデアを出してはつぶし、出してはつぶしを繰り返しました。プロジェクトメンバーは皆それぞれ正解を言っているに全員がうなづかない。サッカー好きのメンバーはサッカー用のシューズのことばかり言うけれど、ほかのメンバーは「それならアディダスやナイキの方が選ばれるよね」と否定するわけです。
聞き手
それはブランディングの3C分析で、競合他社がやっていなくて、お客のニーズがある領域を探る作業と同じですね。
津端
そのプロセスを経て、運動会の話になったときに全員がハッとしたんです。運動会は、運動が好きとか嫌いに関わらず、どの子どもも参加する学校生活最大のイベントですよね。みんなのスポーツの原体験なわけです。
聞き手
でも、運動会は年に1回じゃないですか。シーンが限られてしまうという危惧はなかったのですか。
津端
シーンを心配するよりも、むしろ、プロジェクトメンバー全員が共有できるものが見つかったというのが強かったですね。
聞き手
ああ、なるほど。
津端
管理部のスタッフに「こんな靴を考えている」と話すと、「そうか、俺は運動会では裸足で走っていたんだ」と乗ってくるんです。
ある程度企画が進んで、「コーナリング安定走行」という機能のネーミングだけが先行していてまだブランド名も決まっていない時期に、別部署の人にその話をすると、「いいね、それ。頑張ろうよ」と言ってくれるわけです。
ジュニアスポーツシューズという分野でアキレスはずっとナンバーワンでしたから、それに続く新しいテーマというのを「運動会」に定めて、それを社内のみんなが共有できたというは大きかったですね。
聞き手
みんなの意識がブレないものが見つかったわけですね。
津端
おっしゃるとおり、企画書を出したときに、みんなの意識が一つに集中するのを感じましたね。これはきっとエンドユーザーの子どもたちにも、購入するお母さんにも通じると確信しました。
それからみんなで小学校の運動会をイメージしました。小学校の校庭は土の上に砂が撒いてあり、トラックは左周りで走ります。
「ざらざらしてすべるんだよなあ」
「そう、校庭が狭いから、カーブが急でよく転ぶんだ」
「遠心力に抵抗して手を回したりね」
それだけで、延々と話が続くんです。
「足の速い子はだいたいどんな運動も得意だったよね」
「運動会にあまりいい思い出を持っていない子もいる」
「でも、足の遅い子でも、前を走っていた子が次々に転んで偶然1着になることもあった」
「急なコーナーでも転ばない靴があれば、1着も夢じゃない」
「速く走るためだけではなく、走るのが苦手な子に夢を与えたい」
というふうに、軽量、耐久性、安全性、価格というコアの部分に加えて、「コーナーで差をつけろ」という新しいギミックが加わっていったんです。
聞き手
そういう夢のような靴が技術的に可能だったのですか。
津端
テクニカルな部分では、速く走るためには前足部にスパイクを付けるのは当たり前です。でも小学校の校庭では、狭いトラックのコーナーを左周りで曲がるとき遠心力に負けて転んでしまう。だったら踏ん張りが効くよう両足の「左側」にスパイクを付けたらいいんじゃないかというアイデアが出てきた。右足の内側と左足の外側に「左右非対称」のスパイクを配するという常識やぶりの発想です。「それでまっすぐに歩けるのか」という意見も出ましたが、開発のメンバーとまずは作ってみようよと。
聞き手
製造の部署とはもめなかったんですか。
津端
インプットの段階ではもめませんでしたが、そこからどこまでのグレードのものを作っていくかについては喧々ごうごうでした。
実は私自身、最初のモデルは納得していないんです。
聞き手
ええっ? どんなところが?
津端
左右非対称ソールがはっきりと分からない部分ですね。本当は通常の運動靴と違う部分をもっと分かりやすくしたかったんです。実際に一番よく売れた2004年モデルは、左右非対称がはっきり分かるソールになっています。
聞き手
ファーストモデルでそれをやらなかったのは、最初にあまりエッジをかけ過ぎたくなかったから?
津端
左右非対称だけどもまっすぐ歩いても大丈夫だということが、うまく立証できていなかったんです。その左右非対称が分かりにくいファーストモデルにフラストレーションがあったので、2004年春の新商品ははっきりとその違いが分かるものを開発しました。ゴムの配合など詳しくは企業秘密ですが、左右非対称だけども、まっすぐ歩く時は左右フラットになるようにするなど、テクニカルな部分は全て解消しました。
聞き手
販売に火がつくタイミングはどの時点だったのですか。
津端
2003年の5月に販売を開始したのですが、販社から「売れている」というレスポンスが入ってくるようになったのは、その年の秋で、ちょうど運動会のころでした。
聞き手
そこまでの間、これはいけるという確信はありましたか。
津端
確信は、1999年にランドマスターで1980円の防水靴を作ったときに、すでにあったのです。いくら画期的な新商品を市場に出しても、2500円ではトップブランドのポジションは取れない。中国で1社だけ、1980円で出せる工場を見つけたときに確信を手にした。その工場は今、年間450万足生産しています。
聞き手
ああ、なるほど。「瞬足」はその応用だったわけですね。
店頭ではどういうプロモーションを?
津端
この商品はソールが命なのですが、店頭で普通に展示されても何か新しいのか分かりません。ですから、必ずソールが見える陳列にしてもらいました。さらに、当初展開してくれた200店舗分のPOPを作って、従来の運動靴と何が違うのか、機能を分かりやすく訴求しました。開発コンセプとは「速い子はより速く、苦手な子には”夢”を」。キャッチコピーは、「速く走れる」のではなく、「コーナーで差をつけろ」と。
聞き手
ああ、いいコピーですね。
津端
独自の設計思想と併せて、デザインにも注力しました。次のシーズンからは、カラーリングもグラデーションやビビッドカラーの配色、ゴールドやシルバーなどこれまで子どもの靴にはなかった色にも挑戦して、他社との違いを明確に出していきました。
聞き手
それは、カラーリングが豊富でないと、他の子とかぶってしまうという消費者発想からですか。
津端
その発想はもっと後になってからですね。
2000年前後のジュニアスポーツシューズって、素材は硬いナイロンで、カラーリングも白、黒、ネイビーとかぜんぜん面白くないんですよ。そんな靴を、弊社を含めてシューズメーカーは平気で作っていたんですね。その発想を変えて、大人のトレンドを子ども目線のカッコよさに落とし込んでみたんです。
聞き手
なるほど。
津端
あと、こだわったのは設計思想ですね。「瞬足」は幅のサイズを全部2Eにしました。今の子どもの足は昔と変わってきていて、2Eが中心で、1EとかDのサイズの子もざらにいます。それが分かっていながら、他社は3Eを作り続けている。
これは、本当に真剣に子どもの足のことを考えてものづくりしているかという、企業姿勢の問題ですね。弊社が2Eの靴を作ったら、その後、他のメーカーも追随してきました。
(※Eは足の横幅の表示。1E、2E、3E、4EでEが多くなると幅広になる。Eの下はD、4Eの上はF)
※掲載の記事は2016年4月時点の内容です。
掲載内容が変更となっている場合がございますので、ご了承ください。