一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 > スペシャルインタビュー >広瀬 琢磨氏 Vol.2
聞き手:一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 代表理事 岩本俊幸
【広瀬 琢磨氏のプロフィール】
1980年群馬県高崎市生まれ。実家が祖父が創業した文具店。外資系の医療機器メーカーを経て、2006年家業の文具店が同業の株式会社ほたかを買収したのをきっかけに入社。2010年11月に「たのしく、書く人」をコンセプトにした文具店「カキモリ」を蔵前にオープン。2014年9月 インクをオーダーでつくる店「ink stand by kakimori」をオープン。
■カキモリWebサイト
聞き手
文房具屋を開業することは、いつ頃から考えていたのですか。
広瀬
僕は、祖父の代から文房具店を営む環境で育ちました。ですから、学生の頃より、起業しよう、と思う気持ちはありました。さらに商売するのであれば、「社会を何かしら良くするものでないと意味がない」と考えていました。
聞き手
カキモリのようなスタイルを始めたのは、何年前からですか。
広瀬
2010年からです。カキモリのような形に行き着いたのは、「小資本で生き残るのは専門小売店しかない」と感じたからです。つまり、専門小売店としてお客様とリアルでお会いして販売する方法です。もともとは、オランダの電機・家電製品のメーカーで、医療機器の営業をしていました。そして2006年に、親が事業拡大のために買収した、東京の文房具サプライ系の会社代表になりました。その事業はBtoBの補充向け事務用品販売店でした。しかし業績が芳しくなく、3年くらいかけて売上を3分の1まで落とし、縮小均衡しました。最終的には事業として黒字になりましたが、そのときBtoBの非販売の業界で戦うことは難しいと実感したのです。特にいまは、アスクルなどの通販系が規模の勝負をしています。その中に参入するのは、やはり難しいでしょう。そこで文房具屋が本来持っている「人のつながり」や「歴史」を活かし、文房具業界で何かできないだろうか、と気付いたのがカキモリのような形です。
聞き手
カキモリを立ち上げるとき、参考にした業態はありますか。
広瀬
お店のつくりは、異業種ですぐれた小売店を参考にしています。例えば、万年筆などの比較的高単価なペンの販売スペースは、眼鏡量販店の「Zoff」を参考にしています。Zoffでは、従来の流通や商品の見せ方を変えて、眼鏡を販売しています。カキモリが棚に万年筆を置いているのは、Zoffが棚にメガネを並べているスタイルと、まさに同じです。万年筆などの文房具は、いまだにショーケースに入っているお店が多いかもしれません。しかし若い人にとっては、ショーケースがプレッシャーになることがあります。その結果、気に入った万年筆があっても、「3000円の万年筆をください」と言えないお客様がいるかもしれません。ですから、Zoffのようなフランクで、誰もが気軽に試せるスタイルを取り入れました。
聞き手
他に意識したことは何ですか?
広瀬
「実店舗に行かないとできないことがある」という部分です。つまり、お店を作るにあたり、オンラインですべて完結しない仕組みを作りました。例えば、カキモリではペンを購入したいとき、お客様に実店舗で直接手に取って触っていただきます。その他、『オーダーノート』で使用する紙も手に取って触ることができます。さらには仕入れの商品もすべて、サンプルが実店舗の店頭に並んでいる状態です。もちろんWebサイトにも力を入れていますが、あえてオンラインショップは立ち上げていません。あくまでも商品をWebサイト上で紹介して、実店舗に来て商品を購入していただく流れを作りました。
聞き手
新規客を獲得するために、工夫されていることを教えてください。
広瀬
カキモリは小さなお店ですが、初期費用をかけて内装までしっかりと作り込むようにしました。そのため、プロのアートディレクターと設計士に協力してもらっています。具体的には、一般的に200〜300万円かかるところを、カキモリは1000万円以上かけているのです。初めは、徐々にコストをかけて、だんだんと良くしていこうと考えていました。しかし、中途半端にブランドを作り上げるのではなく、やりたいことには初めからお金をしっかりとかけることが大切だと気づき、決断することができました。いまでも、初めに後戻りできないようにコストをかけたことが功を奏したと感じています。
聞き手
カキモリは連日、大盛況していますよね。経営が苦しい時期もあったのですか。
広瀬
経営が苦しかったのは、2010年11月、蔵前にカキモリをオープンしたばかりの頃です。当時、お客様が満足できるような仕組みは整っていない状態でした。一方、開業するときにコストをたくさんかけたことで、「やるしかない」という状況に追い込まれてもいました。その頃の店は、設計やディレクションに対して消費者サービスなどの運営面がまだ完成形ではなく、いまの形になるまで少しずつブラッシュアップしていき、カキモリを理想の形にするまで3〜4年はかかりました。実店舗を持っていて良かったと感じるのは、実際にお客様が来店してくださり、僕たちの商品にかける想いに共感してくれる人や、応援してくれる人が増えていったことです。そのようなお客様のおかげで、苦しい時期を乗り切ることができました。
聞き手
ターニングポイントとなった出来事はありますか。
広瀬
売上がやっと上がり始めたとき、東日本大震災が発生しました。そして震災の影響により、売上がガクンと落ちてしまったのです。しかし、そこから世の中の風潮、特にメディアが変わり始めました。モノづくりの背景に注目が集まるようになり、人々のモノに対する考え方が変わった感触があります。それからは、メディアがカキモリで掲げるコンセプトを取り上げてくれるようになりましたね。中でも、『OZmagazine』にカキモリの記事が掲載されたことは影響力がありました。その結果、雑誌が雑誌を呼んでくれて、他のメディアにも取り上げてもらい、有難いことにお客様が増えました。
聞き手
メディアに取り上げられるために、何か仕掛けを行いましたか。
広瀬
突飛なことは、特にしていません。基本的には、来店されたお客様に商品説明を丁寧にしていただけです。おそらく、そこに雑誌のライターの方が紛れていたのかな、と想像しています。お客様に来店していただくことがうれしい半面、コモディティ化の戦いがはじまりました。店舗の隣にオーダーインクを受注する「インクスタンド」というお店があったのですが、インクの輸入元の供給が安定せずいったん閉店していました。それを仕入先の変更などを行い、早急に再オープンさせるよう動いています。「インクスタンド」はこれからのカキモリらしさ、言わば「とんがり」を伝える重要な店舗だと感じています。
聞き手
コモディティ化を、どのようなときに感じますか。
広瀬
以前、テレビに取材していただいた際、テレビを見て来店されるお客様はリピートしづらいことを感じました。来店の理由で、「オーダーノートを作りに来た」とおっしゃる方が多いからです。つまり、軸となるサービスのコンセプトより、商品とサービスを目的に来店されていたのです。それも商売としては大事ですが、それによって爆発的に店内が込み合い、一人ひとりのお客様に十分な商品説明ができなくなってしまった時期がありました。そこで、いまはテレビの取材はお断りしています。他にも、店内が混雑しすぎないように週末は入店制限をかけたり、表参道にポップアップショップを設置したりするなど、お客様がなるべく分散するような工夫をしています。いちばんは、カキモリを支えてくださるリピーター客の方々を大事にし、お客様との対話を大事にしたいと考えています。
聞き手
今後はどのような展開を視野に入れていますか。
広瀬
今後強化していきたいのは、海外展開です。文房具は国内で展開しようとすると、値上げしにくい商材です。ですから、海外に出店していくことがポイントだと考えています。実際に、海外からいらっしゃるお客様の比率も増えています。そして、そのような外国人観光客の方は、商品を手に取って「安い」とさえおっしゃいます。なぜなら、アメリカには文房具を仕立てる職人さんがいないからです。ですから、カキモリで展開している商品価値をより理解してくれます。
聞き手
海外展開の足がかりとして、どのようなことに取り組まれていますか。
広瀬
去年は、台湾でポップアップショップを開店しました。そして、今年の6月5日に、カキモリの台湾店をオープンしました。この台湾店で、海外展開していくための問題点を発見したり、スタッフに経験を積ませたりしているのです。台湾の次は、サンフランシスコが濃厚です。サンフランシスコの人々は、クラフトに関心を寄せる流れが強くなっています。
聞き手
海外展開に向けて、社内でも何か取り組みがスタートしていますか。
広瀬
海外展開を視野に入れて、新しいスタッフを採用しています。すでに、カキモリで働くスタッフの4割が英語を話せます。これからも新しい従業員を、積極的に教育していきたいですね。まだ商品調達の問題もありますので、ゆっくりと社内整備を続けるつもりです。蔵前の職人さんが代変わりして、これからもどんどん元気が出てくるのと同時に、カキモリも前に進んでいきます。
聞き手
ありがとうございました。
※掲載の記事は2017年10月時点の内容です。
掲載内容が変更となっている場合がございますので、ご了承ください。