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専門家寄稿記事 ブランドと日本人の優越感と劣等感

私は約35年間外資系の広告代理店に勤務した。日本の高度成長とともに様々なブランドが日本に流入し、日本人の心を捉えてゆく様をリアルタイムで経験した。今回私が経験したことを元に、日本人の優越感・劣等感とブランドの関係について話をしたい。
外資系の企業の多くは、日本人の生活習慣を調べ、その優越感と劣等感を見つけ、それを元に商品開発をし、ブランドを浸透させていった気がする。
私見であるが、ブランドとは人間の優越感と劣等感に滑り込むものと私は考えている。
私は広告代理店時代、多くの外国人クライアントから日本人の特殊性について質問をうけ、その都度それに応えるプレゼンテーションを行ってきた。
彼らは問いかけてきた。「日本の女性は気に入ったものを可愛いと表現する。そして可愛いと認知されたものが売れるという。一体、可愛いとは、どういうことなのか」「日本の女性はピンクが好きだ。ピンクにすると売れるという。なぜなんだろう?なぜなんでもピンクなのか」などなど。
20数年前ある基礎化粧品のニューブランドを担当したとき、フランスから送られてきたモデルの写真を見てギョッとした。モデルの顔一面そばかすがあったからだ。なぜこんなモデルをと問いただした私に、こんな答えが返ってきた。
「なぜソバカスがあったらだめなのか?ソバカスは豊かで健康な生活の象徴。バカンス生活の日焼けによってできる。それは富と健康の象徴なのだ。」と。このとき私は日本とフランスの女性の美に対する価値観の違いをまざまざと感じた。
なぜなら、同じとき私は別の担当ブランド、ランコムでも悩みがあった。当時日本のブランドでは、美白化粧品が力を持ち始めていた。海外ブランドは基礎化粧品の部分で日本のブランドに遅れをとっていた。私はこの美白化粧品をランコムも出すべきだと、説得していた。基礎化粧品の分野で日本のメーカーに大きく遅れをとっていた外資系化粧品ブランドが巻き返しを図る絶好のチャンスと思っていたからだ。が、フランスの本部は消極的だった。
「ああこの違いだ、肌、ひいては美に対しての考えの違いだな」と思い、これは日本の文化に基づいた日本女性の美に対する考え方、なぜ彼らがそう考えるのかを、しっかり伝えなければいけないと感じた。そして色々調べ始めるとあることに行き当たった。
ちょうどそのとき、親会社であるロレアルグループのCEOが日本に来ることになった。化粧品業界において、東南アジア、特に日本そして中国が重要なマーケットとなりつつあるという認識の結果と思われた。
いいチャンスと思い、日本のトップに日本女性の美に対する意識についてプレゼンテーションをしたいと申し出た。


私はプレゼンテーションをこんな言葉でスタートさせた。
「日本女性の美に対する意識を明確に理解するためには、私たちは歴史をひも解く必要があると思う。」
「現代の日本女性にとって理想の美は何か」がタイトルであった。
第二次世界大戦の敗北が日本女性の美に対する価値観を大幅に変えた。と私は分析した。
では、それまでどうだったか。
*それまで心の中に美を持っている人が美しい人として考えられていた。
*日本文化はかつて「恥の文化」と言われていた。
*表に全てを出さないことが良しとされた。
*「一を聞いて十を知る」ことが大切であると教えられた。
そして日本人の精神的なバックグラウンドは、歴史的に2つのものが存在すると長い間考えられてきた。
「侘び」
自然の素材やものが持つ自然の色、形、テクスチャーによって作り出されるシンプルな中にも洗練された優雅な趣のこと。
「寂び」
ものの美的価値は時とともに高まることはあっても、色褪せることはないという信念に基づく。
この2つが日本の美の基本と言われてきた。これは自然のままに、が全て良いという考え方である。
1945年まで、このプレゼンのほんの40年前まで、(プレゼン時は40年前だったが今は75年前)信じられないことだが、日本女性の美の基準は3色しかなかった。白い肌、黒い髪、赤い唇。顔の中の色は白粉の白、結い上げた髪の美しさ、つや、長さ、黒さ。そして、小さな口につけた紅の色。
このたった3色の狭い色の中で、日本女性は髪の黒さを、肌の白さを、唇の赤さを競いあっていたのだ。
しかし敗戦が全てを変えた。このとき日本人のそれまでの価値観が全てひっくり返ったのだ。
戦後アメリカ軍が進駐してきた。当時アメリカの文化は自由と富の象徴であった。アメリカの文化がすなわち美の基準となった。戦後、映画が一つの文化となった。アメリカからくる映画の中で外人の女性はこれまで日本女性が経験したことのない美しさを見せていた。
1954年ジョーデマジオとマリリンモンローが新婚旅行で日本にやってきた。美しい金髪、青い瞳、立体的な体の線、その全てが美の象徴としてTVに、雑誌に映し出された。もちろんその当時のTVはモノクロであったが。
日本女性は金髪に、白い肌に、大きなブルーの瞳に初めて出会いその美しさに驚愕した。このとき日本人の女性の心の中に2つの大きな要素が生まれた。
深い劣等感:西洋のスタイルに魅惑されるが決して手に入れられない。
優越感:日本本来の美に対して日本人の良さを感じる。
これが独特でアンビバレントな日本女性独自の美意識となった。
日本女性は努力して理想に近づきたいと思った。
二重で大きな目=二重の手術、二重に見せるペースト、アイシャドウ、マスカラ。
白い肌=白い肌に対しての憧れはもともと日本人の美意識の中に「肌の白さは七難隠す」と言われ美人の条件でもあったが、それはまた別の意味を示していた。
フランス人が考える小麦色の日に焼けた肌は、歴史的に日本人にとっては労働者の肌であった。日に焼けない白い肌はその女性が高貴であることを表していた。日本女性が祝う3月のひな祭りの内裏さまは、その象徴であった。
そして透けるような白雪姫の白い肌は、手に入らない永遠の憧れ、だからちょっとでも近づきたい。
髪の色=まっすぐで漆黒の髪はもはや忘れ去られた。女性は争ってパーマをかけ、髪の毛を縮らせた。
日本において美人の基準は大きく動いた。大きな瞳と白い肌、これは日本女性のコンプレックスの裏返しなのだ。
日本女性にとっての美の基準はその歴史的コンプレックスからきている。
そしてシミのない透けるような白い肌への欲望は、その歴史的バックグラウンドも含め、日本女性にとって永遠の追求し続ける美なのだ。
私はプレゼンテーションを次の言葉で締めくくった。
「だから美白化粧品は日本女性にとって必須のものなのだ」と。
このプレゼンテーションは今まで説明されてきた日本人についてより納得できる内容だったのだと思う。結果的にこの巨大化粧品企業は美白への方向にシフトしたのだ。
このプレゼンから1年後、ランコムから強力な美白剤がローンチされ、それはロレアルの他のブランドにもつながっていった。
これは20年前の話である。しかしこのアンビバレントな美意識は、外資も日本の企業も全ての化粧品ブランドが今も利用しているのだ。その根本的な理由はわからなくても。
日本に入ってきた多くの外資のブランドを考えるとそこには隠された日本人のコンプレックスが見え隠れする。意識していないが隠されたコンプレックス、そして優越感を考えるのも、ブランドについて考えるときの一つの切り口なのではないだろうか。
