田中 洋先生のブックトレジャー

ブランド戦略の第一人者田中 洋 先生が選ぶ、

ブランディング必読書

#04デジタル時代のブランド戦略

著者・編集:田中洋

ブランド・マネージャー認定協会特別顧問を務める田中洋先生が、読者にとって“宝物”となるお勧め本を紹介する本連載。第4回目で解説いただく本は、田中先生が執筆と編集を手がけられ、2023年11月に発刊された『デジタル時代のブランド戦略』です。田中先生が執筆なさった第1章について、詳しい解説と宝物となるポイントなどを伺いました。

本書を発刊した理由は?

セミナー開催をきっかけに書籍化

今回紹介する本は『デジタル時代のブランド戦略』(田中洋 編、有斐閣)です。2022年に東京で開催した「ブランド研究の過去・現在・未来 ─30年間の発展を振り返る─」(6月18日 法政大学イノベーション・マネジメント研究センター主催)、第11回ブランド&コミュニケーション研究報告会レポート「ブランド戦略トーク・セッション - ブランド戦略論の歩みと今後 -」(6月25日 日本マーケティング学会リサーチプロジェクト主催)の2つの研究セミナーで想定以上の反響があったことから、ご登壇くださった先生方にもご協力をいただき書籍化したものです。セミナーでも熱心な質問や意見が多く上がりました。この先のデジタル時代にブランドがどうなるのかということについて、世の中の関心が非常に高いテーマであることを実感しています。

本書の概要は?

「デジタル時代」とは何なのか?

この本は11章で構成されています。各先生方のご専門に応じて各章が展開されていますが、私が担当した第1章が全体のオーバービューとなっているので、今回は第1章の内容に沿ったお話をしたいと思います。

まず、「デジタル時代」とありますが、デジタル時代とは一体何なのかということを考えてみたいと思います。

実際に今、DX(デジタルトランスフォーメーション)などと言われ、いろいろな物事がどんどんデジタル化しています。私が先日オーストラリアに行った際にも、入国手続きのほとんどがデジタル化されていて驚きました。電子渡航認証システムという仕組みがあり、アプリにパスポートのチップを読み込ませ連携させておくと、空港では機械が自動的に写真を撮り、ゲートが開いて「通ってよし」ということになるのです。昔は入国審査で係官に渡航の目的や宿泊場所などを聞かれてドキドキしたものですが、あの入国審査がもう必要ないのです。このように、いろいろなところですでに物事がデジタル化されているという現実があります。

「人新世」の時代

このデジタル時代にブランドは一体どうなるのでしょうか。それを考える上で、まずはマクロな視点でデジタル時代の全体像を捉えてみます。1つは「人新世」という視点です。これは最近話題になった「チバニアン」同様、地質学的な時代区分の1つで、人間が自然のあり方に関与するようになった時代ということを指す言葉です。(※図1)

地質年代とは

人新世はいつから始まったのかというと、地球に人類が登場した頃からすでにそうであったという説もあれば、18世紀イギリスの産業革命の頃からという説もありますが、いずれにせよ、明らかに人間の活動によって気候変動のような現象が起こっているということは、すでにみなさんも実感をしているところだと思います。

昨年、ブラジルで「プラスチック岩石」が発見されたというニュースがありました。海洋性プラスチックが問題になっていますが、その海洋性プラスチックが集まって岩を作ったというのです。これは、人間のあり方と自然のあり方が区別できない状態になっているということを典型的に示している事象であると思います。

人新世の時代に世の中が良くなるのかというと、実は良くなるというよりも、ネガティブなデータのほうが多いのです。たとえば、「Uncertainty Index(不確実性指数)」という言葉があるように、世界各国の経済レポートを読み込んでいくと、「Uncertainty(不確実)」や「Insecure(不安)」というような言葉が年々増えています。このように、誰しもがこの時代、先が見通せない、不確実、不安だと強く思うようになってきているのです。

もう1つは、「経済成長」に関する視点です。日本の経済成長は、このところは0%に近く、海外と比べて遅れていると言われますが、実はこれは日本に限ったことではなく、世界的にも同様で、デジタル時代になったからといって経済が成長するのかというと、あまりそうではないのではないかという見方が多いようです。

これまで4回起こったと言われる産業革命において、17世紀から18世紀にイギリスで起こった第1次産業革命では、蒸気機関車やモーターが発明され、人間の生活を大きく向上させました。ただ、それ以降、特に2011年以降現在に至る第4次産業革命と呼ばれるものにおいては、物事がデジタル化し、SNSの登場などもありましたが、これは経済成長にはあまり寄与しないのではないかという見方が多いわけです。たとえばインターネットというものを見てみても、われわれは基本的にはインターネットを無料で使います。それに対して余計にお金を支払って使うというモチベーションはあまり起きてこないという実情があります。

今から10年ほど前のリーマンショックで世界的に経済成長がストップし、その後はあまり成長していないというのが、多くの人の見方であるようです。

人間が接する情報は150万倍に増加

一方、デジタル時代について、消費者行動の側面からもう少し細かく見てみたいと思います。デジタル化すれば当然消費者行動も変わるわけですが、その1つとして、デジタル時代になると、われわれが使える情報量がとても増えてくるということが起こります。

あるコンサルティング会社が計算したところでは、人が接する情報は、100年前と比べて150万倍に増えたというのです。では、それに対して人間の脳も150万倍になったかというと、おそらくそうはなっていない。情報の量が大量になったところで、人間の脳で処理できる量は限られているわけです。

情報量が多いと、われわれはそれをやり過ごし、無視してしまうのです。たとえばGoogle検索で結果が1万件と出たときに、それをすべて見ることはないかと思います。検索画面の1ページ目、2ページ目くらいまで見て、必要な情報がなければ諦めてしまうのではないでしょうか。認知科学者のサイモン氏も「満足化(Satisficing)」という理論を唱えているように、人間というものは情報をすべて精査しなくても満足してしまう生き物なのです。

情報が増えてもそのほとんどを無視してしまうということは、逆に考えると、見られない情報がたくさん出てくるということになります。そのため、企業が一生懸命にいろいろな形で情報発信をしても、なかなか消費者にそれをキャッチしてもらえないということが起こっているのではないでしょうか。

デジタル時代では、消費者の情報への接し方も変わってきます。「タッチポイント」や「コンタクトポイント」と言われるような情報に接するポイントがとても多くなり、情報経路が複雑化しているという現状があります。

今やインターネット広告が広告費全体の4割を占めるようになりましたが、消費者としてのわれわれは、インターネットの広告は無視してしまったり、YouTubeで突然広告が出てきたときにもすぐに消してしまったりすることが多いのではないでしょうか。画面上での視線を測るアイトラッキング実験でも明らかになっているように、人々は意識的に広告に目を向けていないのです。

このように、企業の発信する情報と消費者側の接点は多様化(※イラスト1)しているものの、接点が多すぎるが故に、なかなかすべての情報を消費者が利用できないということが起こっているのです。

イラスト1/多様化するタッチポイント

宝物となるポイント

デジタル時代におけるオールドメディアの成功例

つい先日、看板広告についておもしろい話を聞きました。看板には駅看板や電車の車内広告などいろいろとありますが、特に車内吊り広告は、コロナ禍やスマホの普及で目線が上に行かなくなったこともあり、あまり見られないようになったと言われています。

ところが、この時代にこの看板というメディアをうまく活用している人たちがいます。それは、ある地域に位置するクリニックです。このクリニックは、主要な高速道路沿いや、地域の駅前に多くの看板広告を掲示し、高額な投資をしていますが、結果として、看板広告がインターネット広告に比べて著しく高い効果をもたらしたとされています。(※写真1)

写真1/屋外看板広告

これは、インターネットに人間の目が向いているうちに、オールドメディアである看板が逆に効果を出すようになったおもしろい事例です。このように、ブランド側としてもいろいろな機会をうまく見出して、広告の出し方や情報発信を考えることが必要な時代になっているのではないでしょうか。

田中先生の視点

デジタル化以前における「ブランド・イメージの時代」

デジタル時代のブランド戦略を考えるためには、これまでの時代がどうだったのかということを振り返る必要があります。それを考える上での大きな発見が、20世紀からこれまで、実はわれわれはブランド・イメージの時代に生きていたのではないかということなのです。

ここで言うブランド・イメージとは、ブランドをメタファーとして伝達する手法のことです。メタファーとは、まったく関係のないもの同士を結び付けるという意味の言葉です。たとえば「花子さんは薔薇だ」という言い方があるとすると、花子さんと薔薇はもともと何の関係もないけれど、これをイコールで結ぶことによって「花子さんは薔薇のように美しい人だ」ということをメッセージとして伝達できるのです。それと同じような方法が広告にも使われていました。

私が20世紀の広告で一番成功したと考えるのが、シカゴの広告会社レオ・バーネットが制作したフィリップモリス「マールボロ」の広告です。紙巻きタバコのポスターやテレビCMにカウボーイを登場させ、宣伝を行っていました。これは「マールボロ=カウボーイ」という結び付け方をして、マールボロにワイルドなイメージを印象づけ、このカウボーイが「マールボロマン」と呼ばれるようにもなりました。これはまさにメタファーを使ったブランディングの成功例です。

もう少し遡り、このブランド・イメージの時代を作ったと言えるものが、1951年に作られたコピーライター、デイヴィッド・オグルヴィ氏による「ハサウェイシャツ」の広告です。これは雑誌『The New Yorker』に掲載されたものですが、白いシャツを着た男性が洋服屋でスーツの仕立てをしているシーンで、彼が黒い眼帯(アイパッチ)をしているわけです。特にそこには詳しい説明はないものの、アイパッチによって、戦場帰りの勇敢な元兵士のイメージとハサウェイの白いシャツを暗に結び付けたのです。この広告は「ハサウェイシャツを着た男」として話題になり、ブランドの知名度を上げることにつながりました。

1980年代の日本でも、西武百貨店が「おいしい生活。」というキャッチコピーで、アメリカの映画監督を起用した広告を制作しました。これが当時としては、西武百貨店の先端的なイメージを作ることにつながりました。

ブランド・イメージの時代についてもう一度振り返ると、「ハサウェイシャツを着た男」が典型的であるように、シャツという商品は、パッと見てどこのブランドなのか、普通はわからないわけです。シャツを着ている人に「どこのシャツですか?」と聞くことはありませんし、また関心を持ったりもしません。つまり、この時代はブランドによって商品の差別化をすることが難しい時代でありました。そのため、ブランド・イメージの時代には、広告・メタファーによって差別化を行うことが強力なやり方であったのです。

デジタル時代のブランド戦略における3つの方向性

デジタル時代にブランド戦略がどうなっていくのかというと、私は「経験化」「信号化」「理念化」、この3つの方向性があると捉えています。

最初の「経験化」。これは、ブランドが経験するものに変化しているということです。ブランドそのものというよりも、商品について、ここ数十年間でサービス商品が多く登場するようになりました。サービス商品は経験してみないとわからないという特徴があります。たとえばスターバックスコーヒー。実際に行ってみて、席に座ってみて、コーヒーを飲んでみて、初めて「あぁ、スタバっていいな」と思うわけです。

最近増えているサブスクやレンタルといった「所有しない消費」に関しても同様です。たとえば、NetflixやAmazon Primeのような動画配信サービス。私も先日、知らないうちにAmazon Primeの会員になっていることが判明したのですが、いろいろ映画が見られるというのでテレビで設定をしてみたところ、「確かにたくさん映画が見られるし、まぁいいか」と結局使い続けています。そのように、「Netflixっていいよね」「Amazon Primeっていいよね」ということは、これもやはり経験してみないとわからないわけです。

オンラインの消費に関してもそうです。たとえば「Zoom」というブランドも、われわれはこれを宣伝で知って使い始めたわけではありませんね。業務の中で言われて使ってみたら、使いやすいし、簡単だし、途中で切れないし、これはいいのではないかということで使うようになったのではないでしょうか。

このように、ブランドがまず経験しなければ良さがわからないものに変わってきたということがトレンドとしてあると思います。

2つ目の方向性が「信号化」です。商品の発するメッセージがとても単純かつ直接的なものになっているということです。

たとえば、昨年ヒットした「ヤクルト1000」。なぜヤクルト1000が売れているかというと、「ストレス緩和にいいから」「熟睡ができるから」という理由で買われているわけです。このように、効能が非常にはっきりしている商品に関しては、そのブランドを伝えるために、マールボロのようにカウボーイのイメージを結び付けたりすることを考えなくてもよいのです。

市販薬に関してもそうです。こう言ってはなんですが、昔は市販薬はそこまで効きませんでした。それがここ10〜20年の間で、スイッチOTC医薬品(医師から処方される医療用医薬品のうち、副作用が少なく安全性の高いものを市販薬に転用したもの)のように、本当に効果効能を表すような商品がいくつも出てくるようになりました。 近年の科学技術の発展によって商品自体が大きく進化していることからも、この時代、広告にややこしいものは必要なく、端的に「これは熟睡に良い」ということが伝わりさえすればそれで十分であるというように変わってきました。この現象を私は「信号化」と呼んでいます。

3つ目の「理念化」ですが、これは今まで言ってきたことと違って、使っただけでは他社製品との違いやベネフィットがよくわからないブランドがあるわけです。

たとえば、「BOTANIST」というヘアケアブランド。このブランドは「ボタニカルライフスタイル」というコンセプトを唱えています。植物を原料として使用していたり、もちろん使い心地も良いのだろうと思います。ただ、実際に頭を洗っているときに「やっぱりボタニカルなライフスタイルっていいなぁ」と直接感じるかというと、おそらく感じないのではないでしょうか。ボタニカルライフスタイルとは何かと突き詰めて考えるとよくわかりませんが、「ボタニカルなライフスタイルっていいよね」ということはなんとなく思うわけです。そういった理念を掲げるブランドが増えていることを、私はブランドの「理念化」と言っています。

また、ユニリーバの「ダヴ」というスキンケアブランドがあります。従来のスキンケア・ボディケアブランドでは、広告にきれいなモデルを起用して「あなたもこのモデルのようにきれいになりましょう」という訴求をすることが多かったと思います。ところが、ダヴはわざと顔にシミのあるモデルを起用して、「決まった形の美しさなんてない」「あなたにはあなたらしい美しさがある」ということを伝えています。これもやはり理念の話です。

それから、オーガニックワインもまさにそうです。「オーガニックワインは味がすごくおいしい」「オーガニックワインを昨日たくさん飲んだけれども、二日酔いしなかった」と言う方がいますが、おそらくそれはオーガニックであることとはあまり関係がありません。これもやはり理念の話で、農薬を使っていないとか、自然の農法で作られたという理念を反映したものがオーガニックワインであるということなのです。

ほかにも、「環境に優しいことをしています」「エネルギーをセーブするようにしています」というように、いろいろな理念を謳うブランドが増えています。消費者が直接ベネフィットは感知できないものの、背景にある考え方や理念に共感してその商品を選ぶということが世の中で起きており、これがデジタル時代におけるブランドの第3の方向性ではないかと考えています。

読者へのアドバイス

デジタル時代のブランド戦略には豊かな発想が必要

これからの時代にブランディングを考えていく際には、やはり今までとは違った発想や頭の使い方をする必要があります。特にオンラインサービスのような新しい商品が出てきたときには、これをどうやってブランド化するかということについて、いろいろな角度から検討を加えてみることがとても大事なのではないでしょうか。その発想を豊かにしていただくための補助線として、ぜひ先ほど紹介した3つの方向性(※図2)について考えていただければと思います。