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一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 > スペシャルインタビュー >髙田敦史氏

“日本主導”のマネジメントが「レクサス」のブランディングに必要だった

髙田 敦史氏

【プロフィール】

A.T. Marketing Solution
代表 髙田敦史氏

一橋大学商学部卒、中央大学大学院戦略経営研究科修了。1985年にトヨタ自動車入社後、宣伝部、商品企画部、タイ・シンガポールでの海外駐在、トヨタマーケティングジャパンMarketing Director などを経て、2012年からレクサスブランドマネジメント部長としてグローバルレクサスのブランディングおよび広告宣伝、広報活動を主導。2016年7月、A.T. Marketing Solutionを設立。ブランディング、コミュニケーションについてのコンサルティング業務を行う。2018年に経済産業省「産地ブランド化推進事業(Local Creators’ Market)」プロデューサー、一般財団法人ブランド・マネージャー認定協会アドバイザーなども務める。著書に『会社を50代で辞めて勝つ! 「終わった人」にならないための45のルール』(集英社)。



聞き手:一般財団法人ブランド・マネージャー認定協会 ディレクター 能藤




トヨタ自動車のラグジュアリーブランド「レクサス」。今では世界中で愛される高級車レクサスですが、そのグローバルなブランディングにはどのような試行錯誤があったのでしょうか。トヨタ自動車の「レクサスブランドマネジメント部」で長年レクサスのブランドマネジメントを務めていたA.T. Marketing Solution代表の髙田敦史氏に、レクサスのブランディングについてお話を伺いました。



米国市場を狙える高級車「レクサス」の誕生

聞き手

2012年からレクサスブランドマネジメント部長として、「レクサス」のブランディングや広告宣伝などを主導し、「レクサス」ブランドのグローバル展開に尽力されました。そこに至るまでの経緯を教えてください。


髙田

1985年にトヨタ自動車に入社し、宣伝部で7年間、広告制作やメディア講演、イベント関連の業務に携わったのち、商品企画部の東京分室に移動しました。ここでは、市場分析や生活者研究などのほか、新コンセプト車の企画も手掛けていました。振り返ると、ここでの経験が今につながっているのだと思います。その後、タイとシンガポールで海外駐在として働いた後、2005年に帰国し、トヨタマーケティングジャパンという組織でマーケティング全体をディレクションすることになりました。


聞き手

今の自身に影響を与えているという商品企画部では、どのような経験をされたのでしょうか?


髙田

当時、東京分室では2010年の市場を見据え、新しい車を考えたり、若者向けの車を考えたり……と時間軸の長い仕事をしていたんです。そうした中でマーケティングの勉強会をしようという話が立ち上がり、法政大学の小川孔輔教授をお呼びして、マーケティングのゼミのような集まりを始めました。それをきっかけに自分なりに勉強してマーケティングのいろはがわかり始め、「マーケティングって面白いな」と思うようになったんです。


聞き手

そのときにマーケティングの基盤を構築されたのですね。海外駐在時、タイでは「マーケティングの先生」と呼ばれていたとか?


髙田

一緒に働くタイ人にマーケティングの話をしたら大変喜んでくれたんです。お互いに母国語ではない英語でのコミュニケーションが難しい中で、マーケティングがひとつの言語、プラットフォームとして、意思疎通にすごく役立ったことが印象的でした。


聞き手

そのころから、マーケティングが専門分野になったわけですね。トヨタマーケティングジャパン以降は?


髙田

トヨタマーケティングジャパンで全社的なディレクションをしていたころ、レクサスインターナショナルという組織を作る構想が出ました。トヨタからレクサスを分社化するわけですね。で、「レクサス再ブランディング」のプロジェクトに参加したのち、2012年にレクサスのグローバルなブランディングや広告宣伝、広報などの業務を統括する「レクサスブランドマネジメント部」という部署を立ち上げたんです。



聞き手

グローバルなブランディングということですが、そもそも、なぜトヨタが欧米の市場を狙ってグローバルに高級車を展開することになったのでしょう?


髙田

米国市場から強い要望があったんです。レクサスは1989年に立ち上がったのですが、要望があった1980年前半当時、トヨタの自動車販売台数の半分は国内で半分は海外。海外はほとんどが米国でした。米国市場ではカローラの上のランクとしてカムリがあり、その上にはアバロンがありましたが、さらに上には何もなかった。そこで、アバロン所有者の買い替え需要を狙える高級車がほしい、と米国トヨタから要望があったわけです。


聞き手

それで要望を受け、米国市場を狙える高級車としてレクサスが生まれたわけですね。


髙田

はい。日本側の、「もっと上級な車を作りたい」という思いと米国側の要望が合体して、「LS」というモデルを製作することになりました。「レクサス」という名前が付けられたのはこのときからですね。ただ、このときは、マーケティングを主導したのは米国トヨタでした。で、日本側は米国トヨタのレクサスチームの要望に応じて、びっくりするような車を作ったわけです。専用の工場を愛知県に作り、エンジンからすべて新設で作りました。とにかく低振動、低騒音と、当時としては驚くほど静粛性の高い車で、スマートな価値観を持ったお客様に売る、というのがコンセプトでした。


「レクサスブランドマネジメント部」で日本主導のブランディングに

聞き手

そうしたレクサス誕生からしばらく経ち、日本でも2012年にレクサスブランドマネジメント部が立ち上がりました。そのあたりの経緯を教えてください。


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