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一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 > スペシャルインタビュー >阪本 啓一氏 Vol.2

ビジネス1.0からビジネス2.0へ – 第二話

阪本 啓一氏 一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 アドバイザー 株式会社JOYWOW 取締役会長

聞き手:一般財団法人 ブランド・マネージャー認定協会 代表理事 岩本俊幸

【阪本氏のプロフィール】

大阪大学人間科学部卒業後、旭化成入社。建材部門に19年勤務後、2000年4月に独立。

渡米し、ニューヨークでコンサルティング会社「Palmtree Inc.」を設立。

2006年、世界にJOY(喜び)とWOW(感動)を広め、浸透させたいという理念のもと、

「株式会社JOYWOW」を創業、現在同社取締役会長。

主な著訳書として、『共感企業~ビジネス2.0のビジョン』(日本経済新聞出版社)、

『もっと早く受けてみたかった「ブランド」の授業』(PHP研究所)、

『気づいた人はうまくいく!』(日本経済新聞出版社)などがある。


「JOYWOW」設立秘話から、現在に至るまで

聞き手

それから、JOYWOWを設立するまで6年ぐらいですよね?それまではPalmtree Incという会社で、コンサルティングを中心にご活躍されていたのに、なぜJOYWOWを興されたのか。ここをお伺いしたいのですが。


阪本

リーダーシップの本を出した時に、僕が「JOYリーダーシップ」という言葉をよく使っていたんです。とにかく楽しくやろうよと。それで、「JOY」って1つのキーワードになるよね」なんて話をしていて。それと、ちょうどその頃、日本で会社を興す必要性があったのです。



聞き手

その必要性とは?


阪本

僕は、ニューヨークのパークアベニューのシティバンクに口座を持っていました。ところが大統領がクリントンからブッシュに代わって、2001年に例のテロが起こった。それから外国人に対する規制が厳しくなったのです。僕の場合、ニューヨークに住所を持ってないのに口座を持っていたから・・・。アメリカというのは痛くもない腹を探るのが好きですから、証明書を出せとかいろいろ言ってきたのです。ただ事実、僕は住んではいなかったので。だから、いろいろな工作はできるにしても、工作するまでもないだろうと口座をクローズしたのです。


聞き手

口座をクローズしてしまっては、お仕事になりませんが・・・。


阪本

はい。会社にとって口座をクローズするということは、いったん会社を閉めることと同じです。それでそのときに、それならば新しく日本で会社を作ろう。どうせ作るなら、気分も含め、名前を新しくしようと。


聞き手

なるほど、それで日本で会社を興そうと。


阪本

はい。それで当時、僕の中に「JOY」というキーワードだけでなく、感動の「WOW」をくっつけて、社名を「JOYWOW」としたのです。


聞き手

そうだったんですか。やはり例のテロの影響が大きかったというわけですね?


阪本

はい、テロの影響です。例のテロが2001年9月で、その年の年末には日本に戻りました。もちろん例のテロだけでなく、大統領も代わり、またニューヨークの市長もジュリアーニからブルームバーグに代わりました。それで空気がガラッと変わって、特に外国人に冷たくなったのです。


聞き手

それを如実に感じられたのですか?


阪本

如実に感じましたね。


聞き手

具体的には?


阪本

アメリカは多くの人種が混在する国で、差別も少なくありません。また、僕のように大きな組織や企業に属していない人には、例のテロが起こった時も日本領事館は安否を確認にさえ来てくれなかった。いざという時のために書類を提出してくださいと言われて出していましたが、いまに至るまで僕はテロの安否確認対象者としてカウントされてないのです。


聞き手

そこに存在してないのと一緒になってしまいますね。


阪本

まず企業単位で、企業が社員の安否を確認しますね。しかし私のようなもの、あるいはアーティスト、フリーランスの人は分からない。国さえも守ってくれないというのを身にしみて思いました。その時に、自分の身は自分で守らなければいけないと。


聞き手

すごいご経験をされているんですね。さて阪本先生は、2006年にJOYWOWを設立されました。設立当時から現在に至るまで、変わった部分はありますか?


阪本

全然違っています(笑)。当時は、まずメンバーがここまで増えるとは思いませんでした。「この指、止まれ!」なんてしなかったのに、何か知らないけれども増えてきて、いまは10人を超えています。人が増えて、かつJOYWOWを支持してくれるお客様やファンの方も増えました。実はコンサルティングって、世界に「JOY」とか「WOW」を広めたいとコンサルタントだけがやるのではなくて、みんながやるんだと。要するに、いまの世の中の顧客参加型市場がそのまま表れているわけです。


聞き手

阪本先生は、設立された時にすでにそうした構図を描いていたのですか?


阪本

いや、描いた通りになった訳ではなくて、これは本当に結果です。


聞き手

流れでこうなったということですか?


阪本

結果として、こうなったという感じです。


企業規模差によるブランディングへの真剣度の違い

聞き手

次に、ブランディングにまつわるお話をいくつかお伺いしたいと思います。いままでたくさんのコンサルティングをされていると思いますが、阪本先生の場合は、大企業のプロダクト・ブランディングと、中小企業のコーポレート・ブランディングでは、どちらの案件の方が多いのでしょうか?


阪本

どちらもあります。例えば、某通信会社さんもお客様ですし、某ハウスメーカーさんもお客様です。業種や規模の大小は問いません。


聞き手

では、企業の規模の差で、ここは違うなと感じるところというと?


阪本

大企業の場合、失敗しても痛みを感じていないとは思いますね。一方で、中小企業の場合、自分の給料にそのままはね返るから、失敗が薄まらないので、その分痛みを感じる。しかし大企業は、いろいろなことが良きにつけ、悪しきにつけ、薄まるんです。だから、真剣度や決断力という点については、中小企業の方が高いかなと思います。


聞き手

なるほど。


阪本

現在、私のクライアントさんで倉敷帆布の製造販売をしている「バイストン」という会社があります。そこなどは小さな組織ですが本当に真剣です。 もちろん大企業の方も、真剣は真剣なんですよ。だけど、自分にはね返ってこないから彼らには分からない痛みというか…。


聞き手

なんだか分かるような気がします。


阪本

例えて言うなら、大きな船に乗っていたら、海原に出た時に揺れは小さいかもしれないけれども、小さなボートで出ると揺れをすごく感じるではないですか。その違いは確実にあります。このブランドをきちっと立ち上げて、お客様に支持されるように育てていかなければという食いつき度合いの違い。大企業の場合、優秀な人が多くて、その処理には長けていますが、新しく生み出す力がない。


聞き手

なるほど。痛みを感じられるかどうかで、左右される部分はあるでしょうね。



より良いブランディングを立てるためには?

聞き手

では次のステップとして、よりうまくいくようにするためには何がありますか? 中小企業の場合、痛みに対して割と敏感なので、やはりより良いブランディングをしていかなければならない訳じゃないですか。


阪本

2つありますね。まず1は楽しくやること。


聞き手

「JOY」なんですね。


阪本

「JOY」、本当にそうです。先ほどお話しした倉敷帆布の会社は、本当に楽しくやっています。だから、売上げも上がりっ放しです。なので、楽しくやること。あとは、惑わされないこと。新聞報道とか、もっと言うと経営理論とか、「こういう場合はこうですよ」という定石があるけれども、それに惑わされない。いろいろな事例を抽出した理論は理論で大事だけど、やる前から「ここには市場はない」とか「このお客さんはダメだ」とか思い込まないこと。


聞き手

なるほど。


阪本

例えば、森永乳業の関係会社で、MNF(Morinaga Nutritional Foods,Inc.)というアメリカとかヨーロッパで豆腐を販売している会社があります。1985年に、当時森永乳業国際部の一サラリーマンだった雲田康夫さんがロサンゼルスで作った会社なんですが、その当時、アメリカ人は豆腐が好きではなかったんです。


聞き手

そこへあえて進出したということですか?


阪本

いいえ。アメリカ人は豆腐が大っ嫌いというのは前提としてすでにありましたから、もし市場調査をしたら、アメリカには市場はないという答が出たでしょう。


聞き手

そうでしょうね。それがどうして?


阪本

森乳は、牛乳殺菌のパックを利用して、無菌で長期常温保存のできる豆腐は、売れるだろうと製造工場を葛飾区に工場を作りました。もちろん日本国内で販売することを考えてのことです。ところが豆腐協同組合などの業界の反対にあって、日本でも一部のところ、例えば南極観測基地とかそういう一部のところでしか売れないと。それでは葛飾区に作った工場は、何の意味も持たなくなってしまう。そこで、「それならば、アメリカで売りましょう」と気軽に進出したけれども、アメリカ人は豆腐が大嫌いだった(笑)。


聞き手

それは随分と大胆な(笑)。


阪本

ただ、そこでどうするかです。結局、そういう理論を信じてはダメだということです。熱く思い込んで行くしかないのです。雲田さんはすでに引退されていますが、現在、豆腐はアメリカ市場に定着して、どんな田舎にもあるじゃないですか。僕もニューヨークにいたころ、モリニューの豆腐にはお世話になりました。


聞き手

ハナから決め付けないで、情熱を持ってやるところが大事なのですね。


次回へ続く

※掲載の記事は2014年11月時点の内容です。
掲載内容が変更となっている場合がございますので、ご了承ください。